日本はいわゆる“平和国家”であるため、イスラエルによるガザでの空爆への倫理性を問う人が多いです。しかし、考えてみてください。もしあなたが、わき腹を棒で殴られ、蹴られ、脳みそが飛び出すまで攻撃され、銃で撃たれる状況に置かれたら?そしてあなたの身近な人にも同じことが起こり、あなたの家族や愛する人が次々に殺されていったら?あなたの国に誰かが襲ってきて、すべての人々を打ちのめし始めたら?そして相手はあなたの仲間が皆殺しになるまで、それをやめません。敵は、たとえ自分が死んでも構わず、相手が死ぬまでその行為をやめない決心をもっています。もし、あなたが戦うことでそれが止められるかもしれなかったら、あなたは戦いますか?相手を殺しますか?それは私たち日本人がいう“殺人”、“犯罪”、そして私たちの一番嫌いな、“戦争”ではないですか?
日本人は、「悪いのは“戦争だ”」と悪者を一般化することで逃げ道をつくり、うわべの平和を好みます。もちろん戦争は決して好ましいものではありません。しかし、イスラエルでの状況は、イスラエルが好んで攻撃しているのではなく、ガザがイスラエルに挑んでいる状態です。戦わなければならない状況の中、せめてできることは、できる限り“倫理的な姿勢”で戦うことではないでしょうか。たったひとつの事実は、ユダヤ人が武器を捨て何もしなかったら、ユダヤは全滅するということ。また、パレスチナと周りのアラブの国たちが、武器をすべて捨てたら、・・・平和になるということ。イスラエルは、自分の領土を拡大することに興味はありません。事実、イスラエルは、平和になることを願いつつ、自らの領土を少しずつ減らし、彼らに与えてきたのです。
イスラム教の目的は、全世界をイスラム教に変えることです。信仰が変わらない人は、死ぬか、イスラムの奴隷になるかしか選択肢がありません。7世紀、中東でのイスラムによる侵略拡大は、その考えのもとで行われました。現在のパレスチナの地域にイスラムが初めて入ってきた根本は、暴力によるものです。その侵略以前に、アラブ人はパレスチナ地域にはいませんでした。パレスチナはいつ、どうやって、アラブのための国となったのでしょう?また、誰から奪った国なのでしょう?
もともとイスラエルだった国が、ローマの侵略によりイスラエルでなくなった時から1300年間、ユダヤ人はいろんな国で差別され、殺されてきました。1948年、ようやく国際連合の意志により、もともと自分の国であった土地をとり戻しました。やっと、1300年間ぶりでユダヤ人が避難できる国ができたのです。イスラエルの面積は、中東全体の1%の6分の1、つまり、たった0.166%のみ(※注)。しかも、その土地には、石油資源はなく、雨は降らず、砂漠がほとんどの厳しい自然条件です。それをイスラエルの人々は、周りのアラブの人々に攻撃されている間も、命がけで日夜を問わず一生懸命働き、驚くべき灌漑システムの導入などにより豊かな農地に変えました。
イスラエルがユダヤ人の手から離れた1300年間の間、トルコやイギリス、エジプトなどの帝国がイスラエルの土地を侵略していた間に、パレスチナの人々は、一度でも、自分たちのためにその土地が欲しいとは言いませんでした。また、そのほかの国が、パレスチナ人に「国」を与えようという考えもありませんでした。それなのに、ユダヤ人がやっとのことで国を取り戻し、避難所がやっとのことでできた途端、急に、パレスチナの人々は、その砂漠が欲しい、自分の国が欲しいというのです。そして世界の国々が、「パレスチナ難民に国を与えなければ」と言うのです。パレスチナの難民は、まわりのどのアラブの国の土地(前述のように、中東全体の約99.83%)にいっても、差別を受けることはありません。しかし、ユダヤ人が0.166%しかない面積の「イスラエル」という国以外にいけば、必ず差別に遭います。彼らは、ほかに行くところがないのです。際限なく飛んでくるミサイル、テロ、その中で自分の国を守ろうとするイスラエル人。そんな状況の中でも、できるだけ“倫理的な”行動をとろうと努力する姿勢を咎める権利が、平和ぼけの私たち日本人にあるでしょうか。
もし日本で、毎日複数のテロ事件があったり、近隣の中国や韓国からの攻撃があり、市民が毎日死んだりしていたら、日本人が韓国や中国に、“私たちは平和主義だから、仕返しはやめよう”という忍耐強い反応をできるでしょうか?オウム真理教や、北朝鮮問題であれだけ大騒ぎする日本は、イスラエル以上の行動をとるはずです。成田空港で、外国人ひとりひとりの指紋をとり、外国人移民をほとんど受け入れない閉鎖的な日本。これほどまでに必死に自らの国を危険から守ることを目指している日本が、なぜイスラエルが国境を守ろうとすることに対し、批判ができるのでしょう。大きな矛盾です。
下記の記事にあるように、イスラエル側はパレスチナ側に、爆弾を予告するなどして、なるべく一般人の死者を出さない努力をしています。自分たち自身の立場を不利にすることがわかっているのに、敵への事前予告メッセージをわざわざ送る理由は、倫理性を重んじるほかには、あり得ません。下記の記事を読んで、是非みなさんのご感想をお聞かせください。
ワシントンポスト紙に書かれた、チャールズ・クラウトハマー氏(Charles Krauthammer)の「ガザ地区における倫理観の明暗(”Moral Clarity in Gaza”)」:ガザで起きていることの背景について、日本のマスコミではあまり触れられていない事実を述べています。
※注)イスラエルをめぐる中東情勢をわかりやすくビデオ化したもの「中東で本当に何が起きたか」(英語のみ)からの引用。アラブとイスラエルの対立の歴史が10分間でよくまとめられています。ビデオを見るには左のアイコンをクリックしてください。
>>「日本語のページへようこそ」のページへ戻る
Related posts:
Wenn es je eine befreiende Wahrheit gab, ist es die dass, wenn wir unsere Umstände einschließlich aller Dinge und Personen, beides, Gutes und Böses akzeptieren als gestaltet von einem allweisen und mächtigen Schöpfer, wir Sieg erfahren werden in dem Maß wie wir glauben. Akzeptanz unseres Schicksals, egal was es ist, ist ein Lebensbekenntnis und Anerkennung dass Jesus Christus HERR ist.
Ce que vous devez savoir à propos de la confession – ce que c’est, pourquoi vous en avez besoin, comment elle fonctionne et où elle vous mène. La vie et la paix attendent ceux qui abandonnent vraiment leurs péchés et sont purifiés de toute iniquité.
這是為了那些想要知道他或她必須做什麼才能獲得上帝救恩的人。無論你是無神論者還是具有多年宗教經驗的人都無關緊要。上帝是不偏待人的,但祂不貶低任何真誠地來到他面前的人並說:“我不知道但想要。求祢把祢的道路指示我。” 本文就是祂為你賜給我們的。