私の行っていた、グレイスモア・キリスト教会(Gracemor Christian Church)という、“キリストの弟子(Disciples of Christ)”という宗派の教会で、牧師とはどんなものかを体験するために、私が説教を行う日が近づいていました。先輩の牧師、フィル・ウィラウバイ(Phil Willoughby)が、私の神学校進学の計画をきき、機会をつくってくれたのでした。
ポールとインターネット上で会ってから1、2週間後のことです。私が行う説教の相談にのろうと、フィル牧師は金曜日の夕方、私を家に招きました(奥さんのジュディーもそこにいました)。
次の日、私は教会のフィルの事務室で彼に会いました。彼は女性が教会で訓話を説く立場でないという私に反論しようとしました。そして、「コーリー・テン・ブーム(Corrie Ten Boom −第二次大戦中に多くのユダヤ人をナチスから助けたオランダ人クリスチャンで、ホロコースト生残者。戦後、神の愛や“許すこと”についてクリスチャンテレビ番組などで説いた)の例はどう思うのですか」といったので、「わかっていることは、私がするべきことを神様がみせてくれたということ。そしてその事実に対して、神と議論などできるのかということです」と言いました。彼にビクターのウェブサイトを見たかどうか尋ねると、冷たい感じで「見た」と答えたので、どう思ったのかを尋ねると、「教義上の立場から、同意することはできない」と言いました。なぜ彼は自己を防衛するような態度をとるのでしょうか。なぜ、彼が私の牧師であるなら、彼が見つけた間違いを具体的にあげ、それに伴って起こりうる結果を私に指摘してくれないのでしょうか。私には、教義うんぬんではなく、そこに書かれていたことの中に、主が神自身の姿を見せてくれていることがわかっていました。書かれている教義に賛成するかどうかが問題ではなく、そこに書かれていることが真実であるということを、神が見せてくれたのです。その日曜日、6月3日が、私が教会に行った最後の日となりました。