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マーク・ベンソンの証言
どのように信じるようになったか

Mark Benson's Testimony

もしたったひとつだけ、私が学んだことがあるとすれば、そして今もまだ学びの過程であることは、神が私を選ぶのであって、私が神を選ぶのではないということです。すべてのことは神の正しさによって達成されていて、私たちの正しさによるものではありません。これが、ずっと自分の努力と頑張りで生きてきた者が、長い間かけてようやく行き着いた気づきです。

私がいつ神を信じ始めたかということは、はっきり言うことができません。私が覚えている限りでは、私の中にはいつも神が存在し、神と接することができ、私を守ってくれているという確かさがありました。とは言っても、私は、神とは誰であるのか、神が私に何を望んでいるのか、私が神からどんな救いを必要としていたのか、そして、神に従い、神を本当に信じることがどんなことを意味するのかということについて、多くを学ばなければなりませんでした。これは、その体験談です。

私が生まれて間もなく、私の母は、彼女自身が真実を探す過程で、いくつかのキリスト教会と関わるようになりました。これは、私にも間違いなく強い影響を与えたのですが、私は自分の中で、常に矛盾のようにも思える気持ちを経験していました。矛盾と言うのは、私は神の存在を否定することができずに、「もっと神に近づきたい!」、「神の前で正しいことをしなくては」と思う反面、教会や教会活動がいつも苦手で、ぞっとさえ感じていたからです。教会に通っていた頃には、私は教会の中に入るのをいやがり、車のドア枠からへばりついて離れず、母が私を引っ張って連れて行こうとしたことも何度かありました。いやがっていた理由のひとつには、多分子供ならではの、よそ行きの服と教会の退屈な礼拝への拒否反応にあったでしょうが、しかし、本当の理由は、もっと深いところにあったと思います。私の心はなぜだか、落ち着かなかったのです。ほかにも、私が5歳だったとき、夕方のラジオの“福音”番組を母とともに聞いていて、番組の後に祈り、複雑な気持ちになった思い出があります。私は何かを渇望していたのですが、それと同時に落ち着かない気持ちでもありました。このような多くの経験を積み重ねていった中で、今最終的にわかったことは、私は、たとえ子供であった当時にさえも 「現実」と「宗教」との違いを経験していたのだということです。そのような「現実」とは、神だけが、神のものにだけ与えることのできる、落ち着きのある平和によって、証明されます。

私は11歳の頃まで、まずまず快適な人生を送ってきました。家族の関係は安定していて、裕福ではありませんでしたが、お金に困ることもなく、立派な一軒家で田舎暮らしをしていました。学校以外では、父とアイスホッケーをしたり、ほとんどの週末は試合のための旅行に出掛けたり、釣りをしたり、両親が副業として営んでいた小さな家庭菜園と養蜂を手伝ったりしていました。空虚さを感じることや、もっと何かをしたいと感じたこともありましたが、忙しかった私は、ほかに何かがあるとは知らずに、すぐに目の前のことに気をとられていました。そんなある日、大きな“地震”が私を襲いました。母と父の結婚は崩壊を始め、ついに父は夜中に家を出てしまいました。朝起きると、父からは私への別れと彼の決断を告げる、たった一枚の紙切れが残されたのみでした。神は私の世界を揺さぶり起こしました。

離婚のいざこざの中で、母は絶望の淵に立ち、母の腹心の友である母の姉(私の叔母)のすすめで、誰も聞きたがらないような奇妙なことを福音するという噂の、親戚中から除け者にされていた男に連絡をとることにしました。その男とは、母の甥にあたるビクターであり、そしてその妻マリリンでした。親戚同士ではあっても、以前会ったときに私は小さかったので、彼らのことは覚えていませんでした。彼らと連絡を取り合うようになってからしばらくした後、母と兄のトレバーと私は、あるクリスマスのこと、叔母の家へ、そこを訪れていたビクターとマリリンに会いに行きました。

当初、私は、ビクターとマリリンについてどう思ってよいかわかりませんでした。宗教に強い嫌悪感をもつ私は、初め彼らを警戒して、私の恒例の気晴らしのひとつであるアイスホッケーをいとこのゲーリーと池ですることで、気を紛らわしていました。しかし、今回の訪問のある時点で、母は、兄と私に2階にきて会話に加わりなさいと言いました。ちょうど、ビクターが神について話しているところでした。ゲーリーは全く興味がないという様子で、当時彼の影響が大きかった私は、アイスホッケーの試合の方に惹かれてはいましたが、それにも関わらず私は、神様について知ることの方が自分の義務であるような気がしていました。

このときの状況が、私の神との歩み方をすべて物語っています。私はいつも、この世のことや自分のしたいことに翻弄されがちで、しかし神は私の中に、神を求め、神の前に何が正しいのかを知りたいという抑えられない気持ちを、私の意志に大きく反しながらも宿らせました。結局私はその会話に加わることになり、それは私の期待以上の啓発だとわかりました。

それから私たちは、ビクターとマリリンに連絡を取ったり、会ったりする時期に入りましたが、彼らとの関係は、必ずしも楽なものではありませんでした。私の母はいつも厳しく、強硬なしつけをしてきましたが、ビクターは母の支持のもと、神の視点から、ことあるごとに私の行いに対して向き合い、母とは違った類のしつけによって私を訓練しました。当時、また、今に到るまでも、「こんなこともういやだ」と思うことは何度もありました。しかし毎回、ある難所に行き当たるたびに、私はいつも同様の基本的な気づきにたどり着くのです。その気づきとは、自分の悪いところを指摘されてどんなに不愉快であっても、どれだけの言い訳が見つけられても、他の人を逆に責め返して「お前に言われたくない」のような態度をとっても、最終的にはいつも、自分の中のいちばん深いところで、神と真実に実際に向き合わされているのだということを正直に否定できないということです。それは刃物のような鋭さで、私を切ります。しかし私は、罪に対する戒めから逃れて自分を正当化することは、嘘という非現実の世界で生きることを選ぶことと同じであることを、神に与えられた見方によって知っています。神は私がその嘘の世界に生きることに甘んじることを許さず、私の独立心と反抗的な性格とは対照的に、私の中に何が現実なのか、そして何が真実なのかを知りたいという情熱を芽生えさせています。

両親離婚後の私たち子供たち(兄トレバー、私、弟ジェイソン)の養育権にわたる長引く裁判の後で、私たちは皆、父と母のどちらと暮らしたいかという選択を迫られました。いろんな意味で、私は母親よりも父親の方と気が合っていて、アウトドアや、アイスホッケー、その他たくさんの共通の趣味もあり、父にかわいがられ、ひょっとしたらひいきされることさえも好んでいました。さらにもうひとつ、私が父の方を気に入っていた理由は、父は母ほどに規律が厳しくなかったことです。しかし父は、母が真実を探すために進んでいた道、ビクターの存在、ビクターが私たちを案内するために果たしていた役割、つまりは神様自体に対して、「反対する」という意志を表明してきていました。

ビクターが私の(母から受け継いだ)父に対する批判的な態度を鋭く正し、私が父のことをもっと尊敬するべきだと指摘したにもかかわらず、私の父は、ビクターこそが父と私たち子供たちの間の分裂の原因であると不当にも責めました。そうして父は、もし私が父と一緒に暮らすことを選ぶとしたら、ビクターとの一切の接触を認めないという条件をつけました。最終的に私は、母と暮らすことが規律の厳しい生活をすることを意味し、離婚により経済的にも困難な生活を強いられることになるのがわかっていても、神がビクターに与えた神への理解と真実への教えが、私にとって必要であることがわかっていたので、母と暮らすことを選びました。兄トレバーも同様でした。一方、弟ジェイソンは、規律を嫌い、お楽しみの約束の方に興味をひかれ、父と暮らすことを選びました。

何年かが過ぎ、兄トレバーがレスブリッジ大学に行くために家を出ました。母は働きに出ていたので、私は37エーカー(約15ヘクタール)の土地の維持管理を引継ぎ、ほとんどの家事もこなし、苦労を通して責任感や仕事のやり方について学ばなければなりませんでした。何年かの後、母と私は、ビクターとマリリンのところに近いという理由で、住んでいたステットラーからレスブリッジに引っ越しました。生活のやりくりは簡単ではなかったので、家計の帳尻をなんとか合わせるため、高校の友達がクラブ活動などでスポーツをする中、私は学校の後、夜間や週末や祝日にはペンキ塗りの仕事で母とともに働かなければなりませんでした。神様はつらい時期を通して、私たちにたくさんの価値のあることを教えてくれていたのでした。今はそれにとても感謝しています。

次の何年かの間、とてもつらい時期があった中で、神が私や周りの皆のために準備してくれていた約束を、何度か瞬間的にですが垣間見ることがありました。1989年10月17日、私とほかの何人かがビクターの家に手伝いにいったとき、ビクターは彼が見た「神の宝庫」のビジョン(幻)について話してくれました。その宝庫には、あらんかぎりのいいものが詰まっていて、宝物は私たちのすぐそばの壁の向こう側にあり、壁にはたくさんの入り口がある(つまり、宝物は壁の向こう側で見えないが、私たちのすぐそばにあり、壁にあるたくさんの入り口から手を伸ばせば宝物に届くことが可能であるのに、みんなその存在に気づいていないという現実を表す)というビジョンでした。そのビジョンは、私に深い衝撃を与え、私はその宝庫に入る権利が欲しいとわかっていました。私はその後ビクターに電話し、ビクターから神に、私が神を求めるための心と精励さを与えられ、ビクターの話していた宝庫へ入ることができるよう、私の代わりに頼むことができるかをききました。ビクターは神からすぐに答えをもらい、それは「もう与えられている」というものでした。彼はその後また私に電話を返し、その答えの貴重さと希少さに気がついているかとききました。私はわかっていると思っていましたが、実はわかっていませんでした。事実、私は今でもまだその重要性への理解を深めているところです。

また、ビクターのところへ訪問していた別の機会で、私は、ビクターが何年も前に神様から受けた、私と兄トレバーに関する預言について、それが何であったのかを尋ねずにはいられないときがありました。ビクターは以前、それについて触れたことはありましたが、その時はその話しを自由に分かち合う気がしませんでした。今回彼は、私の願いに応じ、預言を話しました。「マークが燃える灯火(ともしび)となり、トレバーは知恵を授けられる」。彼は、もうひとつの神様からの預言についても私に話しました。それは、「私はその男を破壊し、地球上からその顔を去らせる。あなたは彼に会うことはもうなく、私はあなたに彼の財産を与えよう」。ビクターはそのときには、それが誰に関する預言なのか知りませんでしたが、何年後かになって、その真相が明らかにされました。

私が母とビクター、マリリンとともに立ったため、そして、私たちがそれを神の意志であると信じてそうしていたため、父は兄トレバーと私を彼の遺言の対象から除き、弟ジェイソンにすべてを残すことにしました。そこから、とても興味深い一連の境遇によって、トレバーは後に、父と思いがけず時間を共にすることになり、父は遺言の中で私たちの財産授与の権利を復権させました。・・・そしてそれはなんと、ジェイソンが父を銃で殺した直前のことでした。この悲劇は、父が母に離婚届けを送ったその日から9年後、もしかしたら何分かの違いのみの、ちょうど9年後の同じ日に起こりました。私たちは父の財産を後継し、そしてその財産というのは父が母に“お前が手に入れることは決してない”と誓ったものであり、例のビクターの預言が成就したものでもありました。これは、神が神の意志によって皆の人生を、そしてすべてのことを左右し、“偶然”という無原則な確率を超えて、完璧なタイミングの中で神の権力をはっきりと示しているという、たくさんの劇的な例のひとつであり、ここでは例が多すぎて列挙できないほどです。

私が思い出せる限りでは、私にはいつもどこか外国に行って、旅行だけでなく実際にその土地に住んでみたいという願望がありました。その国が、カナダと異なれば異なるほどいいとも思っていました。高校に在籍中、私はそれを実行できる機会を探し、高校2,3年のときには、何十もの交換留学のプログラムについて調べました。しかし、すべてのプログラムで多額の留学費用を必要としていて、母と私にはそのお金がありませんでした。私は特に日本に興味を向け、高校で始まったばかりの日本語コースをとることで、日本語の初歩を学びました。私は、高校を卒業したら、日本に行ってフリーランスで英語を教えることを計画しようと試みました。しかし、私がいくら計画しようと頑張っても、話がまとまることはありませんでした。

高校3年生のある日、私が学生ながら副業として営んでいた芝生刈り込み・造園業で作業をしていたときのことです。ついに私は、私のしていることすべては、私の意志や私自身のやりたいことであって、私のための神様の意志が何であるかということを全く考慮していないということに気がつきました。さらに私は、自分の計画を強引に進めようとすることで、それが神様の意志に反するものであれば、私は流れに逆らって泳いでいるだけのことで、物事がスムーズに進むことはあり得ないのだと気がつきました。実は私は、その現実をすでに小さいことで経験していたので、作業をしながらこう言ってたずねました。「神様、あなたが私にどうして欲しいのかをどうか教えてください。それが何であっても、私は言うとおりにします」。そして私は、神様から、はっきりと答えを聞きました。「さあ、私がこれからあなたのためにすることを見せるから待っていなさい」。私は、それが何を意味するのかわからずに少し圧倒されましたが、同時に、自分の力で何かを起こさせることの重荷から自由になり、心の平安を経験し始めました。さらに私は、もし私が神の意志に沿って何かをしているのであれば、世界のどんな力も私を止めることはできないという新しい、力に満ちた強い自信と信じる心を得ました。

それにともない、私は日本に行く計画を無理強いすることを止め、自分自身をすべて、ただ神様の意志に任せることにしました。私は高校3年を終え、そこから何をしてよいのかわからずにいました。大学に行くのに借金はしたくありませんでしたし、だからと言って大学の学費を即座に支払える経済力は、私にはありませんでした。私はいくつかの小額の奨学金を受ける資格を得てはいましたが、学費すべてを支払うには程遠く、私が調べて申請したほかの奨学金はどれも合格しませんでした。私は、芝生管理の仕事をさらに規模拡大して働きつつ、高校に戻って、以前は大学入試のための必要条件を満たすために、時間がなくてとれなかったいくつかの職業訓練教育のコースをとることに決めました。

その頃、神は私のあらゆる問題点について対処していました。最大の問題は、私の母と私の間に成長していた不信仰と依存の不健康な関係から私自身を引き離す必要があるということでした。私は私自身で独り立ちする必要がありました。母は私の放課後の仕事の収入と、私が父からまだ受け取っていた援助費に、生活費を頼っていました。逆に私は、母の援助や、私が母と暮らしている限り母が父から得られる私の養育費なしでは、やっていける自信がありませんでした。それは、私に借金をすることなしに大学に行きたいなどという野望があれば、なおさらのことでした。神は、母と私に、必要なもののためには、神様だけを信じて頼らなければならないということを教えようとしていたのでした。

神が私に、この一歩について明確に指示したにもかかわらず、私は行動に起こすまでに二度決意をたじろぎました。二度とも、私は引っ越すと言いつつも、母が涙ながらにとどまってくれと私に頼むので、そうすることができませんでした。毎回私はそれを取り消し、神は、私と私の周りのすべてから祝福を取り去り、すべてのことが見事にうまくいきませんでした。しかし毎回、私が私自身をこの神を信じる一歩へ再決意させる度に、神の祝福は戻ってきました。

ついに私は、実際にその一歩を踏み出す決心をしました。それは私にとって大変つらいことで、自分ひとりの造園会社の収入だけで、一体どのようにして経済的な帳尻を合わせるのか全く見当もつかなかったばかりではなく、借金なしで大学にいくなぞとは夢のまた夢の話になってしまうことを意味し、それはさらに母をも経済的な困窮に陥らせることのようにも思えました。母は私の収入によって、やっと家賃や生活費を支えているような状態でしたので、私の収入なしで母が一体どうしたら生活していけるのだろうと心配でした。さらに、私はどこで自分のアパートを借りればいいのだとか、どのようにしたら借りられるのかということさえ、見当もつきませんでした。それは、私が安全と保証のあったがけの端から、黒くて、底の知れない深い穴へ、一歩踏み出すことのように見えました。

私は神に案内を祈りました。神は私に、私の造園業の客である年配の女性に、彼女が使っていない地下の部屋を借りられるかたずねなさいと言いました。私は彼女に尋ね、彼女は部屋を貸すことには興味がないと断りました。家に帰り、それが本当に神の答えであったかどうか、一体どうしたらよいのかを神に尋ね、再び祈りました。神は、もう一度彼女に頼むように私に言いました。私は自分の中で、もう一度頼むなどとは失礼だし、無駄なことではないかと異議を申し立てましたが、しかし、そうしなければならないということもわかっていました。私は、彼女に再び、「断るのは自由ですが、どうしてももう一度きかなければならなかったので」と言って尋ねました。すると、今回は、いくつかの質問の後、彼女は部屋を貸すことを了承したのでした。そのときにはまだどうなるかとはわかりませんでしたが、ふたりの関係は神によって祝福され、お互いにとって益のある関係となりました。私は彼女の孫のようになり、彼女がひとりではできなかった一切の家の維持管理を助け、彼女のよき相談相手となりました。その見返りに、彼女はすでに安価であった下宿代(家賃と食事代)を半分にしてくれて、私にとてもよくしてくれました。神に不可能なことはありません!!!

引越し後の最初の夜、これからどうなるのか全くわからず、たったひとつのベッドといくつかの段ボール箱しかない自分の荷物に囲まれた部屋で、ひとり座って神様に祈り、「さあ神様、私はここであなたの手の中に自分をお任せします。もしこれが神様の意志でしたら、あなたが私に必要なものをすべて与えてくれると信じています」と言ったのを、今でも覚えています。

次の日、私は高校で授業の途中、校長室に呼ばれました。なぜ呼ばれたかわからずにたずねると、校長先生は私にとにかく座るように命じました。彼は、私が何年か前に、日本に行く機会を探していたことについて思い出していたと言いました。私は、もうそのことはあきらめて、そんな機会を探すこともしていないと答えました。それにもかかわらず、彼は話し続けました。彼は、たった今日本から電話があり、彼らの高校と提携する大学へ、学費と生活費全免除の奨学生として、こちらから日本の高校へ推薦したい生徒がいるかをきいてきたとのことでした。さらに、通常ならば今の奨学金受領者が卒業するのを待っての受け入れのはずが、今回は、中国からの留学生が4年間で卒業するうちのまだ3年生であるのに、特別にもうひとり重複して受け入れたいというのです。そして、校長先生(ミッチ・フォレスター校長)は、もし私に興味があれば、なんと私を推薦したいと言いました!

私はびっくりしてものが言えませんでした。私は、考える時間をくれるように頼みました。彼は、考えるのはいいが、こんなチャンスはまたとないので逃さないようにと言いました。私はビクターに電話をしに行き、二人で祈りました。神様が、私たちにこれは神のしていることで、神の意志は私がこのチャンスを受けることだと答えました。私は応募し、ついに日本側は私を受け入れました。

しかし、いくら日本に行ってからの必要な費用がすべて提供されるとしても、まだひとつの大きな障害がありました。それは、私には日本に行くための飛行機代がなかったのです。月々の家賃と生活費をぎりぎり払っているような状況で、どうやったらチケットを買うための余分な出費を捻出できるのか、見当がつきませんでした。私はもう一度神に祈りました。「もしこれがあなたの意志でしたら、神様、私はあなたが必ず道をひらいてくださることを信じています」。そして私はいくつかのロータリーなどの民間組織で、誰か私に援助をしてくれる人がいないか探しました。全く、返事はありませんでした。日本へ出発しなければならない日が迫ってきていましたが、私にはまだそのお金はありませんでした。冬という、造園業には夏場よりも仕事がなく収入の少ない季節が近づいていました。

その頃、私が常連客の家にその月の芝生管理費の請求書を持っていったときのこと。彼は長年の常連でしたが、前に私が芝刈り費用を2ドル値上げしようとすると、「だったらもういい」と首を切られそうになった客でした。ですがその日、彼は私を家に招き入れました。そして、彼と奥さんはずっと話していて、なぜかふたりとも、私にその日ボーナスをあげたいという気持ちになったのだといいました。私は結構ですと断りましたが、彼はどうしてもと言いました。私はどうしてかと尋ねました。彼は、自分でもわからないが、ただあげたいだけだと言いました。私はありがたく封筒を受け取り、車の中で小切手を開きました。すると、なんとそこには、何百ドルにも値する小切手があるではないですか!

事はそれだけでは終わりませんでした。その後1,2週間以上の間、客が、ひとり、またひとりと、次々に、私が月の請求書をもっていく度、客同士には全く面識がないのに、同じ言葉を繰り返したのです。彼らは皆、同じようにこう言いました。「なぜだかわからないのだけど、君にボーナスをあげたい気持ちになってね」。その頃、以前声をかけておいた民間組織のうちのひとつからも、私の渡航費用の補助として500ドル出すことが決まったとの通知がきました。

さらにとどめとなったのは、ビクターが私のビジネスを売りに出したらと提案したときのことでした。町中の同業者にきいてみても、誰もが満場一致で、「その手の商売は、売っても使っている道具代の価値以上の一銭にもならないよ」と言いました。しかし、私のビジネスに興味をもつ人が二人いました。そこでオークションをしてみようということになり、値は私の予想をはるかに超えて跳ね上がり、最終的にはなんと見込み価格の3倍に近い値がついたのです。ほんの数週間の間に、神様は日本に行くのに十分すぎるほどのお金を提供してくれただけでなく、旅のための新しい服や、何不自由なく行くために必要なものすべてを提供してくれました。神を讃えます!!!

私は日本にいる6年間、同様のパターンを何度となく目にしました。ある時は、私が電車に乗っていて、あるひとりの年配女性と短い会話をした後、彼女は泣きながら、「ただあなたに持っていて欲しいから」と、返そうとする私に無理やり1万円札を手渡しました。また同様に、私は日本で得た人々との出会い、仕事、機会、そしてつながりは、私に必要なものが、必要なだけ、ちょうどいいタイミングで与えられ、それは私が今までに想像することができる以上のものでした。神は私に日本語を学ぶ力を与えたので、大学で単位をとり、奨学生としての条件に見合うために必要な優等成績を維持することができました。私が4年生を終えたときには、何人かの教授が大学院に行くことをすすめました。神は、その何人かの教授を通して、大学院入試に受かるために必要な教育指導を与え、さらには私の学費や生活費をまかなうほどの奨学金を2,3も提供して、私を祝福しました。

私は、私の職場と大学のある2つの町に、それぞれひとつずつの部屋をもち、部屋代は、神が“ただ助けたい”という人を動かしたので無料でした。大学院生で車が必要だったときには、神が私をまさに完璧なタイミングで陸運局に行かせたために、様々な展開の後、ある若いカップルと出くわし、彼らは私にすばらしく燃費のよい、状態も完璧な車を、もはや必要がなくてどうしようかと困り果てていたところだったのでと、涙ながらに頼まれて、私に車をくれることになったのです。神は、私を神の宝庫へ近づけるという祝福により、神自身の姿を、本当にすべてのことにおいて、見せてくれました。

神が私に近づかせたものは、物理的に用意されたものや、肯定的なことだけに限りませんでした。神は私にこれまで何度も、与えたときと同じぐらい劇的に、私から何かを奪ったり、正したりしました。それはすべて、神が私を魂的に正し、改善するためでした。また、私の日本での滞在のはじめから終わりまで、ことあるごとに様々な度合いで、私が神の意志を探す道から反れ、世間の欲望や罠にはまったことも何度もありました。

いろんな家族に招待されて、定期的、かつ過度に酒を飲むことがじわじわと習慣になってきた頃には、その山場となる出来事として、深夜の帰宅途中にマウンテンバイクでかなり深刻な事故にあったことが挙げられます。大学の警備員が、門を閉める際に、それまでは一回も封鎖しなかった自転車用の通路を鎖で封鎖しました。飲みすぎた後、自転車で家路についた私は、それを知らずにその鎖に引っ掛かり、空気中を何メートルも飛び、アスファルト舗装に顔から着地し、私の顔と首からは皮膚が剥け、歯にひびが入り、慢性疾患となる首のケガを負っただけでなく、脳しんとうにもなりました。神はこのような正し方(躾)をしたときでさえも慈悲深く、それ以上の害がないように私を守り、私の顔を奇跡的なほどに癒し、歯科医と歯の治療代を提供し、私がカナダに戻ったときには、私の首の問題を治すための解決策さえも提供しました。

また別の例として、私が通訳の仕事代として、寛大にもラップトップのパソコンをもらった後、私はそれを車の上に載せたことを忘れて、そのまま車を走らせ、パソコンを落として、修理不可能になるという事態がありました。それはちょうど、私がマスターベーションやポルノを含めた問題で道を踏み外していた頃でした。私がそれらを悔い改めるとすぐに、神は代わりのパソコンを提供し、祝福しました。ほかにも似たような状況として、上記の車を、事故で失うことになったのですが、その後悔い改めると、神はまた別の人を私のためにアレンジしてくれて、別の車を無料で提供してくれたということが起きました。

そしてこのことすべての始めから、神は、献金によって神を讃えることの重要さを信じる心も私に与えていました。自分の限られた収入から神様にその一部を差し出すと、たとえ数字上ではマイナスで不可能に見えるような状況下でも、「神」に捧げているので、必要なお金は提供されるのです。それは、聖書にある「やもめの献金」の話のようです。

「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである(マルコによる福音書 / 12章41節-44節)。」

神は私たち皆に様々なことを要求しますが、私について言えば、私が神を信じ始めた頃ぐらいから、私が稼いだお金すべての半分を神に捧げたいと感じていました。高校の頃は何度も、また、大学や大学院に行っていたときには、収入もかなり限られていて、これをしたら破滅的だと思えるようなときにさえも、私はこれからどうなるのだろうなどと深く考えすぎて迷ったりせずに、ただ実行して、すべてを神の手のうちに任せました。すると上記のように、ものごとは想像を超えてすべてうまくいきました。

私の人生すべての結論として言えることは、神は、私の日本の滞在中、私の弱さにかかわらず私を始終守ってくれていたということです。3年時の自転車事故を通じての神の正しと罪の自覚の後、私は3年間のうちではじめて、ついにカナダに一度戻ることを決心しました。それが、私が初めて、ビクターとマリリンが購入したオーガニック農場「ハーベスト・ヘイブン」を見たときのことでした。私は心の中で深く感動し、そこにつながりを感じました。そのときはまだ、まさか自分がそこに住み、現在のようにその農場のマネージャーになるとは思ってもいませんでしたが、私は有機農業関連に携わるべき必要を感じ、それに関する研究に従事しようと決めました。日本に戻り、私は専攻を商法と財政学から、後に修士論文を書くことになった日本のオーガニック農産物の消費者意識に関する研究にテーマを変え、最終的には、それが大学院での有機農業経営管理に関する調査研究への足がかりとなったのでした。

次の年にカナダへ帰ったときには、こんな私にもかかわらず、神は慈悲深くも神の聖霊を私に与えてくれました。その後、私が滞在していたビクターとマリリンのところから、ポール(アメリカ在住の神を信じる友人―ポール・コーヘンの証言をお読みください)に電話して、この嬉しいニュースについて報告した時のこと。ポールはそれを聞いて喜んだのと同時に、私に言いました。「さあ、これからが火(厳しい試練)の始まりだ」。私は、「もう試練は受けたのに」と思いましたが、これから来る試練はまた別の類のものでした。

私が修士課程を終えたとき、私はある選択をしなければなりませんでした。私は大学から、今度は博士課程のための、また寛大な奨学金の申し出があり、卒業したときにはそこで職を得ることも約束されていました。それはとても魅力のある選択肢でした。その申し出を受け入れるか、またはビクターに応じてカナダに戻り、ハーベスト・ヘイブンで彼らとともに働くかという選択でした。日本での生活は楽で、事実、物理的に私が夢見ていたものはすべて手に入れていました。通訳と英語教師のアルバイトで十分なお金を稼いでいましたし、自分の研究も楽しく、休みの日には山登りに明け暮れていました。しかし、熱心な祈りをした後、神によって日本での生活で必要なものがすべて与えられてはいるけれども、これ以上日本に残ることは魂的な行き止まりを意味すること、つまり、私にはカナダに帰る時期がきているということに気づいていました。実際、私には与えられたすべてのものが、私がそれらをすべてあきらめるという目的のために、一旦、与えられたのだということさえ、ついに見えてきました。

日本にいる間中、私はいくら道をはずしている時でさえも、私がなぜそこにいるのかは、いつもわかっていました。神が私を私自身のため、そしてどんな方法であっても、どの程度であっても、私の弱さにかかわらず、神について人々に話すために私を日本に送ったのです。以下は、私が日本に旅立つ前に、私がなぜ日本に行くのかを神に聞いたとき、ビクターが聖書の「ローマ書」からくれた言葉です。

ローマの信徒への手紙 10章13節-17節

13節 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。

14節 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。

15節 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。

16節 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。

17節 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。


日本にいる間、私が出会った友人や人々に、神や神の真実、そして神が私の内に、私のために、してくれたことについて話す機会が本当にたくさんありました。そのうちのひとりに、神が神のことを話すために私を送ったのが、今は神を信じる者であり、私の妻となった、万里子(万里子・ベンソンの証言をお読みください)がいます。

ここで、私の異性との関係の歴史について触れると、その背景は、私が高校生だったとき、私はある日本人の女の子と仲良くなり、とても近い関係になりました。私はそれが神の意志であるかどうかを知ることなしに、ふたりの関係に自分自身を傾倒させました。ついにそれが神の意志ではないと明白に私がわかったときには(私たちは近い関係になるだけではなく、結婚することまで考えていました)、そこから方向転換するのに、両者を深く傷つけました。今なら、そんなにも信仰の土台が違う二人が、神の祝福なくそれ以上の関係をとことん追い求めたら、もっと深く傷つくに違いなかったはずのところから、神が私たちを守ったということがわかります。そのときの後悔から、私は、それが神の導きだとわからない限り、2度と女の子と関係をもつことを自分に許さないと決意しました。その決心は、その後、そのような傷つけ合いをする関係を避けることに役目を果たしました。

万里子の話に戻ると、私は彼女が国際会議を主催していたときに、通訳の仕事をしていて出会いました。状況から見ると、私がその通訳の仕事をとるのは、私が夏の間もっといい給料をもらって別の仕事をしていたのでほとんど不可能に思えるめぐり合わせで、そもそも私はその国際会議の仕事を断っていたのでした。しかし、会議の主催者から何度となく頼まれた後、仕事先の監督に相談したところ、なんと彼は行くための許可をくれただけではなく、私に「行くべきだ」と言ったのでした。万里子の側も同様で、彼女がそこにいるのは、普通ならば全く起こりそうもない展開でした。彼女は前の仕事を辞めたばかりで、その会議のための短期ボランティアでいいからとその主催者組織に巻き込まれました。そして最終的には、彼女はその会議の担当者になることを頼まれ、彼女は自分にはそんな経験や技能がないからと断ろうとしたのですが、結局は彼女が現地にまで派遣されることになりました。

私たちは会議の間、毎日数時間共に通勤し、私は最終的に、彼女に神について話すことになりました。会議が終わる頃には、私たちは近しい友人となり、お互いに魅力を感じましたが、私は、関係に巻き込まれないように注意して、万里子は別の理由から、何も遂行せず、それぞれ別の道に帰りました。

私たちは会議後の報告書翻訳のため、またともに働くことになりました。これによって、私たちは電話でもっと連絡を取り合うようになりました。次の夏、ポールの勧めで、私の最初の躊躇や疑いにもかかわらず、私は神の段取りによって、東京での健康食品の原材料貿易展での通訳の仕事をするように導かれました。そうなると私は、予算もないまま、東京でどこか泊まれる場所を探さなければならなくなり、そんな時、まだ頼んでもいないのに宿泊先を申し出る人がいて、それは万里子の両親の家でした。

はじめ私は、万里子との関係を発展させることを避けるという決心と、状況から見てあまり適切ではないということから、万里子の両親の家に泊まるというその案には全く反対でした。しかし、祈っていると、神は私に、この状況において神を信じ、神の言葉を万里子や家族に話すため、私が行くべきであるということを見せてくれました。そしてついに、ある日、私が帰宅途中に運転をしながら祈っているとき、私の態度はやわらぎ、その提案に賛成しました。神が私に日本に行く機会を与えてくれたときに言った言葉を繰り返しになりますが、私が聞いたのは、「さあ、私がこれからあなたのためにすることを見せるから待っていなさい」でした。

滞在中、万里子と私は毎朝、満員電車でともに通勤することになり、神は私の中の水道の蛇口を全開し、私が彼女に言うべきことを与えたのでした。私たちの関係は、そこから何年もの間発展し、続いたのですが、私がカナダに戻ってきてからは、万里子がカナダに何度か訪れ、こちらに丸一年間滞在したこともありました。そのとき私が学んだことは、誰もほかの人に神を信じさせることはできないということ、そして、誰も「信じたい」と思うからといって自分の力で神を信じることはできないということでした。信じる心は、神からの贈り物なのです。万里子はある時点で、自分にその贈り物が与えられていないということを認め、神を信じているふりをすることをやめました。

その気づきとともに、万里子はまた3年間、日本に帰りました。神のみによって演出された、様々な出来事の連続を通して、万里子は、2006年の7月、神によって変えられた心で、神からの貴重な“信じる心”の贈り物とともに、それがいつ、どうやって与えられたかも確かではないまま、カナダに戻ってきました。それは、白と黒ほどの違いでした。神は3ヶ月後、彼女に神の聖霊を与えました。彼女がカナダに戻ってから8ヵ月後、神は祝福とともにドアを開け、私たちは結婚しました。彼女が日本に戻っている3年間の間、私はいつも、14年前高校生のときにいたのと同じ場所、つまり、自分の意志をあきらめて、完全にすべてを神様の手のうちに放棄し、私の意志ではなく神様の意志がなされますようにと言う場所に戻らなければなりませんでした。そうすることで、私は再び神が「さあ、私がこれからあなたのためにすることを見せるから待っていなさい」と言うのを見たのです。万里子は私やハーベスト・ヘイブンのみんなにとって、神を信じる新しい者がキリストのからだにもたらされる度にそうであるように、祝福に満ちた存在です。

カナダに戻ってきて、私は、たくさんのつらい時期と、私の人生で一番熱い「火」に直面しました。それは、神様が私たちのすべてから不純物を取り除くために使った「火」による、ハーベスト・ヘイブンのその時の状況と、当時の私のあり方からきたものでした。これらすべてを通して、神は、神が(約束に対して)忠実であるということ、辛抱強いということ、そして神の時(タイミング)と神のやり方で、すべての人類を救うため、神の偉大な働きをするために、“良”と“悪”の両方を使い、神はそのどちらをも支配する絶対の主権者であるということを実際に見せてくれていました。

神は、私とここにいる皆に、大いなる祝福を与えてきてくれています。神は、私が神に仕えるためにこれまでに捨てたどんなものに比べても、百倍も私を満たしてくれただけではなく、失くした父の代わりには、父以上のものをビクターによって与え、失くした友人と家族の代わりには、血のつながりよりも濃い絆で結ばれた、真の友人と家族を与えました。それは、神が聖書の中で約束した通りです。

「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。(マタイによる福音書 / 19章 29節)」

今の私の願いは、神の意志によって神の真実と言葉を人々と分かち合うという名誉を与えられるということです。“人をとる漁師”(訳者注:イエスが、ガリラヤ湖のほとりを歩いていたとき、漁師である兄弟に言った言葉「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」マタイによる福音書/4章19節)となるために・・・。

マーク・ロバート・ベンソン
カナダ アルバータ州 レスブリッジ

Mark Robert Benson
Lethbridge, Alberta, Canada

関連項目

私たちについて

  • ビクター・ハフィチャックの証言Victor Hafichuk's Testimony:どのように信じるようになったか
  • ポール・コーヘンの証言Paul Cohen's Testimony:どのように信じるようになったか
  • マーク・ベンソンの証言Mark Benson's Testimony:どのように信じるようになったか
  • 万里子・ベンソンの証言Mariko Benson's Testimony:神様がくれたこと

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