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ロエス・ベンソンの証言
どのように信じるようになったか

Lois Benson's Testimony

神が初めて私を引き寄せたのは、私が虚しさに生き、恐れや不安との闘いに疲れ、何も解決策が見つからない状況にいた時のことでした。それは1973年のこと。私は28歳で、神様を信じてはいない夫と、二人の息子トレバー、マークと暮らしていました。私が神様を信じはじめたその頃、私の甥ビクターと彼の妻マリリンが私を訪ねてきてくれました。ビクターは私に、神を信じることの原則について話してくれました。彼らの訪問は思いがけないもので、神様を信じることへの励みとなりました。

私の姉のひとりデロアスは、神様を信じていたため、私たちは共に神について話し始めました。神は、私の人生にまたひとり、神について証言する人を送ってくれたのでした。私は、主イエス・キリストを偽りなく知ることについて祈り始めました。テレビやラジオ、教会、その他どんな機会でも、神様について話す人には誰にでも興味をもち、答えを探して祈りました。

デロアスはバプティスト教会のメンバーで、ある日、彼女はエドモントンのビリー・グラハムの聖歌隊で歌っていました。彼女は私に電話をしてきて、彼女と彼女の家族と一緒に私も行かなかいかと迫りました。私はどうしてよいかわからず、また電話すると伝えました。そして洗濯をしていた時、神が私に告げました。「私はあなたと共にいますから、どこにも行く必要はありません」と。

「『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れても、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。」(マタイ第13章21-22節)

また、デロアスは、私に読むようにと何冊かの宗教本をくれました。それらの本には、いくつかの真実が含まれていました。ある日、私はアーム・ストロングのコンコーダンス(聖書の用語検索のための辞典のようなもの)を探しにキリスト教の本を扱う本屋に行きました。しかし、そこで見た全ての本は、まるで「私が神である!これを読みなさい。私は神を知っている!神はここにいる!私が神である!」と声を上げているかのようでした。それは身の毛のよだつような光景で、私はコンコーダンスだけを買って、そこを去りました。

ある朝目が覚めると、私は自分に力が満ちているのを強く感じました。不安を感じさせる恐ろしい気持ちは和らいでいて、何かが変わったのがわかりました。遊びにはもう興味がなく、飲酒、喫煙、テレビのだらだら見が罪だと感じました。聖書をもっと読みたくなり、自分に起きていることについて他の人に話したくなりました。そして聖書の勉強会に入りました。私の夫ハワードは私のしている事に対して反対はしませんでしたが、私に「君は、私が結婚したときの女性ではなくなった」と言いました。彼の言うとおり、私の中にあるものは明らかに変わっていました。

間もなく、私たちはレッドディアー(Red Deer)からスッテットラー(Stettler)という土地に移りました。レッドディアーで私が参加していた聖書の勉強会グループは、ステットラーのナザレ教会のエスター・トーマスと接点をもっていました。彼女は私をその教会へ招き、一時はその教会に通っていました。私自身が変わっていく中で、喫煙に対する罪の気持ちは強まっていきました。しかし自分自身では禁煙することができませんでした。ある日、私はタバコを吸わずにはいられないというものすごい誘惑にかられました。私は神様に私を救って欲しいと必死に頼みました。もし神様が私に何かしてくれなかったら、私はすぐそこのお店にいって1パックのタバコを買いに行ってしまうかもしれないというちょうどその瞬間、神様は私に次の聖書の一節を与えてくれました。

「わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き、私に耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。死の綱がわたしにからみつき、陰府の脅威にさらされ苦しみと嘆きを前にして主の御名をわたしはよぶ。『どうか主よ、わたしの魂をお救いください。』主は憐れみ深く、正義を行われる。わたしたちの神は情け深い。哀れな人を守ってくださる主は弱り果てたわたしを救ってくださる。私の魂よ、再び安らうがよい。主はお前に報いてくださる。あなたは私の魂を死から、わたしの目を涙から、わたしの足を突き落とそうとする者から助け出して下さった。命あるものの地にある限り、わたしは主の御前に歩み続けよう。」(詩編 第116章1-9節)

「死ぬことなく、生き長らえて、主の御業を語り伝えよう。」(詩編 第118章17節)

これらの節を読んで、私は完全に喫煙から解放されました。1977年、ビクターの弟のデイビッドが亡くなった時、私は姉のデロアスと彼女の家族と一緒にお葬式に参列しました。ここで再びビクターとマリリンと話す機会がありました。私はビクターに自分の神様との体験を話し、それに対して彼は私に神様を信じ、その道を歩み続けることへの励みをくれ、この先には「さらにもっとある」ということを話してくれました。彼はまた、聖霊の洗礼についても話してくれました。ナザレ教会の牧師は、この洗礼に対しての考えに異議を唱えていたので、私はこれ以上この教会に残ることはできないとわかっていました。次に私は、聖霊の洗礼について説く唯一の教会であったペンタコスタル教会に通い始めました。

ある夜私は、腿を重度に火傷してしまいました。この頃、私たちは新しい家を建てている最中でした。私が火傷したことで、手伝いに来てくれる大工さんたちの食事づくりに支障が出ると思った夫ハワードは、私にとても腹を立てました。神様は私に聖書の次の節を与えました。

「神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。」(使徒の手紙 第19章11-12節)

私は教会からの友人のイボンヌ・ウィットフィールド(Yvonne Whitfield)に、その聖書の節の通り、ペンタコスタル教会の牧師にハンカチを持っていき、それに牧師に祈ってもらって、私に持ち帰ってきてくれないかと頼みました。牧師はその要求に驚きましたが、彼女は彼に頼んで私の望みどおりのことをしてくれました。そしてハンカチを私の腿において横たわり、癒えるのを信じました。そして次の日、私はなんと職人さんたちの食事を用意することができたのです。神様を讃えます!神様は神の意志によって、私に信じる心と火傷の癒しを神に求める心を与えてくれたのです。

私の兄弟をはじめとする親戚たちは、ビクターとマリリンの神様との新たな生き方を受け入れませんでした。私は彼らから、ビクターとマリリンはおかしい人たちだと何度も聞かされていて、誰も彼らと関係を持ちたがりませんでした。私は、周りが言うことに振り回されるのではなく、ことの真相を自分自身で知りたかったので、次にビクターとマリリンを訪れる機会があったとき、彼らとの間に一体何が起きているのかを尋ねました。ビクターは多くの真実を語ってくれ、私はそのすべてに興奮しました。教会で聞いたこととは、対照的なことばかりでした。

次の日、神様は私に「あなたにはこれからとても大変な時期がやってきますが、恐れることはない。私はあなたを見捨ても見放しもしないから」と言いました。そしてそれから、私がペンタコスタル教会の牧師にビクターと話した内容について話すと、ビクターは危険人物なので、離れるようにと私に警告しました。ビクターには、彼の考えを受け入れることができない旨を手紙で伝え、私は自分の道を行きました。しかし、だんだんとペンタコスタル教会の言っていることで、自分には受け入れられない点があることが見え始めていました。私が牧師にこれらのことについて質問をすると、彼はまるで私が彼の権威を疑っているかのような反応をしました。

ある日、年配の女性マージ・ハリス(Marge Harris)と私は、神に霊と真実の中で神に従うことの本当の意味を私たちに見せてくれるように祈りました。そして、私たちがもらった答えは、組織化された宗教から出て、神様に直接従うことでした。このことをデロアスに話すと、彼女は反発し「誰があなたの頭(かしら)になるの?」と尋ねました。私は「神様が私の頭(かしら)となる」と答えました。その後、マージ・ハリスはペンタコスタル教会を離れましたが、彼女の夫の教会(神の教会『Church of God』という名の教会)に戻り、それはつまり、彼女の神への従いが完成していないことを意味していました。霊的に、彼女は死んだのでした。私はというと、ペンタコスタル教会を去った後、組織化された教会システムから一切抜け出し、神のみを単独で信頼することを、神によって与えられました。ちょうどそれは、3人目の息子、ジェイソンが生まれた頃のことです。

ある日、ビクターから“嵐が来る”という警告の手紙をもらいました。当時の私の人生は、その警告とは裏腹に、とても順調に見えました。借金も返し終え、皆元気に暮らしていました。夫のハワードとこれらのことについてすべて話しましたが、私たちは神の恵みに対し、神に感謝するのではなく、自分らが達成したこととして自己を讃えていました。そしてその後、すぐにその“嵐”は来ました。平和だった日々が突如として消え、破滅がやってきました。

「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなた方自身よく知っているからです。人々が『無事だ。安全だ』と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。」(テサロニケの信徒への手紙1 第5章2-3節)

ハワードは暴飲を始め(飲酒は彼の問題の一つでした)、私はドラッグや異性との浮気もしているのではないかと疑っていましたが、彼と話し合うこと不可能でした。彼は私に対して冷淡になり、審判はやってきました。ハワードと私はもはや夫と妻として暮らしてはいませんでした。彼は、車庫の上の部屋に引っ越し、私に仕事に戻ることをすすめ、家を出る心構えをするように言いました。私は現実に向き合うことができず、全く逆の方向へ全速力で、必死にもがき走っていました。

私が夜間勤務で働いている間に、ハワードは家を出ました。彼は、たった一枚の置き手紙を残し、そこには、もう私と一緒に住むことはできないということと、自分の幸せを見つけなければならないと書かれていました。なんと暗くてつらい日であったか、私の恐れは如実に示されました。

子供たちが学校に行く前に、一緒に聖書を読んでいました。その中で特に、私たちを強くした聖書の節が「詩篇」の第91章です。

「(1)いと高き神の下に身を寄せて隠れ全能の神の陰に宿る人よ
(2)主に申し上げよ 『私の避けどころ、砦 私の神、依り頼む方』と。
(3)神はあなたを救い出してくださる。仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。
(4)神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる。彼のまことは大盾、小盾。
(5)夜、脅かすものをも 昼、飛んで来る矢をも恐れることはない。
(6)暗黒の中を行く疫病も、真昼に襲う病魔も
(7)あなたの傍らに一千の人 あなたの右に一万の人が倒れるときすら あなたを襲うことはない。
(8)あなたの目が、それを眺めるのみ。神に逆らう者の受ける報いを見ているのみ。
(9)あなたは主を避けどころとし いと高き神を宿るところとした。
(10)あなたには災難もふりかかることがなく 天幕には疫病も触れることがない。
(11)主はあなたのために、御使いに命じて あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
(12)彼らはあなたをその手にのせて運び 足が石に当たらないように守る。
(13)あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり 獅子の子と大蛇を踏んでいく。
(14)彼はわたしを慕う者だから 彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知るものだから、彼を高く上げよう。
(15)彼がわたしを呼び止めるとき、彼に答え 苦難の襲うとき、彼とともにいて助け 彼に名誉を与えよう。
(16)生涯、彼を満ち足らせ わたしの救いを彼に見せよう。」

ある朝、私の行く銀行支配人の奥さんのロエス・モイズ(Lois Moyes)がひょっこり家に立ち寄りました。彼女は私にハワードが他の女性と家を出たことを確認して、「あなたは税を払うときがきたわね」と言いました。この言葉は預言的でしたが、彼女はその言葉の持つ重要な意味を理解していませんでした。

私の結婚関係が崩れていくにつれて、姉のデロアスは私を助けようとしましたが、望みがないことに気づきました。彼女はどうしたらよいかわからないまま、ビクターに電話することを勧めました。ビクターは真実を伝えるため、私のところに神によって送られたのでした。しかし、その真実とは私の予想していたものとは異なっていました。真実とは私自身のこと、私の罪、私の本質、そして自分がどんな人間かに向き合うことでした!神様は犠牲ではなく、従うことを望んでいるのです。聖霊は、彼に従った人に与えられるのです。ビクターとマリリンは私が霊を受けることができるよう祈りました。

神様は私が陰に隠れてしてきたすべてのことを、明るみに出しました。私は売春婦のような女でした。夫を失うことに対する恐れや夫への疑いのため、彼を挑発しようと、あからさまに他の男性といちゃついたりしました。性欲のため、姦淫という罪を犯していました。結婚する前は、何人もの男性を傷つけ、そそのかしておきながら、いやになったら説明なしに彼らを捨てていました。マスターベーションをし、うそつきで、盗人で、皆から奪えるものを奪い、与えることをしませんでした。判決は下され、自分の罪を清算するときがきたのです。預言は実際に成就していたのでした。自分がどのような妻であったかだけでなく、どのような母親であったかにも正面から向き合い、白状するときがきたのです。私は息子らに相当厳しく、「従うか、もし従わないなら・・・」という態度でした。私の怒っている目だけでも十分に恐ろしく、叱ったり、体罰をしたりしたときにはなおさらでした。子供たちの気持ちに対しての心遣いはなく、とても野蛮でした。ビクターは、あるビジョン(幻)で、真実をわきに押しやる不信仰の毛深い腕を見て、その腕はまさに私の腕でした。

ハワードは週末のみ、私が働いている間、子供の面倒を見るために戻ってきていました。私はよくビクターとマリリンに電話をかけ彼らと話をしようとしましたが、泣くことしかできませんでした。ビクターは「大変な試練を通り抜けてこそ、神の国に入ることができる」と言いました。結婚して17年経った今になって、私は「これからどうすればいい?」「私は一体何者なの?」という現実に向かい合わなければなりませんでした。これらの質問をビクターに訊いたとき、ビクターが言った答えは「私たちと結婚しなさい」でした。ビクターは神様とひとつになること、そして、その神様とは“一番高いところにいる存在する秘密の場所にいる人”(訳者注:聖書『詩篇』第91章1節の「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。」より)であるということを言っていました。私たちは、神が私たちのよりどころであり、砦であり、私たちの神であり、神の内に神を信じて頼るべきだということを学んでいくのです。

この頃、私は神様から夢を与えられました。私は真っ暗闇の、ほこりっぽい汚い穴の中で、糞だらけの床に立っていました。私は糞をきれいにしようと、ヘラを使って糞を動かしたりしましたが、一向にきれいになりませんでした。他にも同じことをしている人が周りにいました。私は何度も穴から登って出ようとしましたが、ミズゴケのようなものが壁を這っていて、ぼろぼろ崩れ落ちてきて壁を登ることはできませんでした。一時、見上げると弓状の開いたドアが見えました。ドアの外は明るくて汚れのないすがすがしい様子で、私はそこに行きたかったのですが、頑張ってもそのドアにはたどり着けませんでした。そして次の瞬間、どうやったのかも分からないまま、私は突然ドアの外にいて、緑豊かな牧草の中を走っていました。穴の外は見た通り、きれいで明るいところでした。走っていると、私の息子の一人マークとすれ違いました。私がマークより早く走っていて、彼より早く走ることができるのはなぜだろうと思いました。

「主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ、わたしの足を岩の上に立たせ、しっかりと歩ませ私の口に新しい歌を、わたしたちの神への賛美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見、主を畏れ敬い、主に依り頼む。」(詩篇40章 第1−3節)

離婚別離の過程における何年間かの間、私は時折、レスブリッジに住むビクターとマリリンを訪れることがありました。特に印象深く残っている訪問は、ビクターの弟アーチー(Archie)が、家族でトロントからレスブリッジに引っ越してきたときのことです。彼の家族は荒れた状態の中にあり、手引きと救いを必要としていました。ビクターはアーチーに自分が言ったとおりにするようにと言い、アーチーはそれに合意しました。ある夜、私たちが居間に座っていると、アーチーに突然不安が襲ったかと思うと、彼は「私を彼らから守ってください。彼らに私を捕まえさせないで!」と繰り返し泣き叫びました。アーチーは、彼のスピリットの中で、黒いスーツをきた9人の男たちが彼の周りを囲み彼を連れて行こうとするのを見たのです。そして、それらの霊はビクターに「お前にどうしろと言われたくない」と言ったのです。ビクターはすぐに立ち上がり、アーチーに手を置き、霊に向かって名を名乗るように命令し、イエス・キリストの名の下に、立ち去るように命じました。アーチーは、レスブリッジに来る前、16日間の断食をしました。そして今、16の悪霊が追放されたのです。その晩に14の悪霊、その後の数日間で、さらに2つの悪霊でした!

私はそれまで、何人もの牧師が悪霊を追放しようとしたり、人を癒そうとしたりするのを見聞きしたことがありましたが、どれも実際にはうまくいっていませんでした。でも、今回私が見たものは本当のことなのです。悪霊たちは、ビクターの中にある神様の権威に従わなければならなかったのです。アーチーは自由になったとともに、神様から直接警告を受けました。それは、もし彼が神に従わず、心を開くことなしに自分勝手な道を歩むと、悪霊は再び戻ってくるだけではなく、さらに仲間を連れてくるだろうというものでした。

私にとっては、毎日が闘いでした。私の心の内は、表も裏も混乱していて、上か下かもわからなくなっていました。私は息子たちの親権を失うことを恐れ、離婚を恐れ(離婚は、私が一番恐れていたことでした)、自分自身と向かい合うことを恐れていました。ハワードは離婚を望んでいました。彼は全てを欲しがっていました。すべての財産、息子、そして私を彼の視界から追い出すことでした。何年か後、息子のジェイソンから聞いてわかったことですが、ハワードは私を殺すか、または少なくとも精神病の施設に送り込もうと計画をしていたそうです。ハワードは私が夜勤の際、通勤中に地元の二人の警察官(RCMP)の協力さえもあおぎ、私に嫌がらせを繰り返していたのです。それらの経験を通しての私の結論は、もし神の意思によって私が殺されるべきだったら、自分ではどうすることもできない。反対に、もし私が生きることが神の意思であれば、何人の警察官、軍隊が結集しても私を殺すことはできない。“真実”を知るにつれ、自分が何者かに向き合い、正されるのと同様に、これらの経験、つまり炎をくぐるにつれて、自由と力が与えられてきました。

調停を通して、マークとトレバーを精神科医に見てもらった結果、ハワードの、私が息子達を洗脳しているという主張とは反対に、彼らはとても健康で識別能力もあるということがわかりました。しかしそれでもまだ、裁判協力機関のペニー・ラゾロリッチ(Penny Lazarowich)氏は、ハワードが息子3人の親権を持つことを望んでいました。私は裁判所に足を運び、3男のジェイソンがハワードを訪れるのを止めさせようとしました。それは彼がジェイソンのいるところでさえも浮気を重ね、神に背いた生活を送っていたからです(ジェイソンはちょうど思春期前でした)。しかし、私の意志とは逆に、物事はうまくは進まず、なにもかもが私に反対しているようでした。

調停がうまく進んでいなかったので、私は息子達にハワードと私のどちらと一緒に暮らしたいかをたずねました。裁判所ではなく息子達に決めて欲しかったからです。トレバーとマークは私と一緒に暮らすことを選びましたが、ジェイソンは父親を選びました(ハワードには、ジェイソンを連れて行って私を傷つけたいという思惑がありました)。トレバーとマークが私を選んだのは、私が彼らにとって良い母親だったから(またはそのような、母親といることによる利点によるもの)ではありません。神様が彼らの進むべき道を決めたからです。そうでなかったら、彼らはハワードと暮らすことを選んでいたことでしょう。

この先どうするべきかを神に祈ると、神は、ハワードが欲しがっているものを彼に与えるようにと私に言いました。ちょうどその頃、ビクターは、一番下の息子ジェイソンは神を信じる者ではなく、つまり、私たちの一員ではなく、彼をハワードに引き渡さなければならないと言いました。しかし私は、「何かが変わるかもしれない」という希望を胸に、彼を手放すことができませんでした。ビクターの言葉はナイフのようにするどく私を切りつけました。ジェイソンを失うことに向き合いたくなかったからです。その頃、私はあるビジョン(幻)を見て、私にはそれがジェイソンを手放すべきだというメッセージだとわかっていました。私は、ジェイソンを行かせなければなりませんでした。私がジェイソンをあきらめたことで、調停での行き詰った状況に変化が起き、トレバーとマークは私を選び、予想外の展開にハワードの弁護士らは困惑しましたが、調停は突然にして幕を下ろしました。

ハワードとジェイソンがいなくなったからこそ、私は“自分のことをかわいそうだと思う穴”の奥深くにどんどん落ちていきました。私は、簡単なことでさえも失敗をしてしまうほど、物事に対処できなくなっていました。ある朝、私がその日一日にどう向き合えばいいのかを葛藤していると、神が私を叱り付けました。神は、私と暮らすことを選んだトレバーとマークという二人の息子に、私の存在が必要であり、しっかり彼らの面倒を見るようにと私に言いました。父親とともに離れていった息子のことでいつまでも嘆き悲しんでいる場合ではなかったのです。

そして聖書のサムエル記の中の記述で、息子アブシャロムが殺されたときのダビデ王のことを思い出しました。
「王は顔をおおい、大声で、“わが子アブシャロム。アブシャロムよ。わが子よ。わが子よ。”と叫んでいた。ヨアブは王の家に行き、王に言った。“あなたは、きょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう。それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。」(サムエル記U 第19章4節−7節)

ハワードと私は離婚し、トレバーとマークと私は、レスブリッジ(アルバータ州)に引っ越しました。ジェイソンとハワードは、同州バーシャウ(Bashaw)に住みました。

レスブリッジに越してから間もなく、私はペンキ塗りの仕事をしているときに梯子(はしご)から落ち、手首を骨折しました。医者は手首の骨を固定して永久につなぐ手術をしなければならないという診断をくだしました。この手術をすると、手首には柔軟性がなくなります。医者がX線の写真を見せたとき、神は私に、私の手首は大丈夫であり、今までどおりとはいかなくとも、手首を使うことはできるようになるといいました。X線には、私の手と手首とが完全に離れており、骨の破片がそこここにあることが写っていましたが、神に与えられた言葉により、私にはその固定手術の必要がないとわかっていました。そしてなぜこのようなことが起きたのかを探し求めました。神は、私が神を信じずに、自分自身を信じて急いでいるからだということを見せてくれました。神はまた、下記の聖書の箇所を私に与えてくれました。

詩篇 第51章1‐19節
「(1)神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。
(2)どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。
(3)まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。
(4)私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。
(5)ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。
(6)ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。
(7)ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
(8)私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。
(9)御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。
(10)神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
(11)私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
(12)あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。
(13)私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
(14)神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。
(15)主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。
(16)たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。
(17)神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
(18)どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。
(19)そのとき、あなたは、全焼のいけにえと全焼のささげ物との、義のいけにえを喜ばれるでしょう。そのとき、彼らは、雄の子牛をあなたの祭壇にささげましょう。」

手術は受けましたが、外科医のハードル(Hurdle)先生ができたことは一時的に3本のピンを手と手首に入れ、手首を支えるためのギプスを取り付けるということだけでした。石膏をはずしに病院にいった際、再びレントゲンを撮って先生の部屋にいくと、なぜだか彼は首を傾げていました。そして私を見て、「説明はできないのですが、あなたの手首は治っています。自由にやりたいことをやってみてください」と言いました。はしごから落ちてからこの日まで、私は骨折における痛みはなく、痛み止めを飲むこともありませんでした。しかし後になって、ビクターは、ちょうど私が手術をしていたとき、彼の手と手首に痛みを感じたことを話してくれました。私がただ言えることは、聖書に書かれているとおり、この骨折は神様の祝福だったということです(「私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。」『詩篇 第51章8節』)。

神に捧げものをすることは、すべてのことにおいて、神を信じて従うということを学ぶ過程で、とても重要な部分でした。神は、私たちを様々な(金銭的な)苦労を通すことによって試しました。神を信じて捧げるか、それとも理屈に負けるか。犠牲を払うか、それとも神に従うか(訳者注:神は“私たち”の考えによる自分勝手な犠牲を望んではおらず、“神の”意志に従うことのみを要求している)。神に差し上げるとしたら、どこの誰に差し上げればよいのか。教会に捧げたことはありましたが、神は私に、ビクターに捧げることを見せてくれました。私たちの優先順位は献金が第一、そして毎月の支払い、そして食費という順序でした。食料品店での割引商品は神からの祝福で、私たちはお腹がすくこともなく、飢えることもありませんでした。私たちに必要なものはすべて与えられていて、私たちの想像できる以上のものを超えるよりももっと偉大な豊富さを与えられていたことを、ほんの少しだけですが気づいていました。神に従うという“信じる心”を与えられたこと、その神の慈悲と恵みに対し、神を讃えます!私が神への霊的な旅を進むにつれ、神は様々な形で私を正し、祝福してくれました。そして神はまた、何か別のことで私が直面しなければならない問題を見せました。

ある日ビクターから電話がきて、私が神の国に十字架によってではなく、違う方法で入ろうとしていることを言われました。子供の時、イベント会場に入園料を払わず忍び込んだのと同じように、神の国に入るのにも同様のことをしようとしていたのでした。ビクターと私との間の霊的な話し合いは終わりを告げ、その隔たりはとてもつらいものでした。私はそのことを考えないように努め、自分を忙しくすることでごまかそうとしましたがうまくいかず、ある日、私にはもう限界がきていました。私は仕事から帰ると、とても暗い部屋で仕事机の下に手足を縮めて丸くなってうずくまりました。私なんてはじめから存在しなければよかったのにと思い、その机の下にずっと隠れていられたら楽なのにと思いました。でもそういうわけにはいきませんでした。そこから抜け出して、日々に、そして自分の責任に向き合わなければなりませんでした。私は人生の岐路に立っていました。何かが変わるか、または私が終わるかしかありませんでした。

神の慈悲により、私の問題の根源は、ハワードとジェイソンに対する許せない気持ちであることがわかりました。私が彼らを許すまで、神は私を許すことができませんでした。神は私にその日の夜9時半までに彼らに電話をして彼らを許すことを私に要求しました。私はぐずぐずしてもがきながらも、どうしても電話をかけることができませんでした。ついに9時25分になって、私は受話器を手に取り、私は彼らに謝り、彼らを許しますと伝えました。これをしたことにより、その瞬間から私は解放感を感じ、私の寝室から悪霊が去っていくのが見えました。そこから、また次の段階へ進むことができました。私たちは、自分の蒔いた種は自分で刈り取ることになると聖書に書かれているように、自分の犯したつけは、最後の一円まで払わなければなりません。途中で、近道を見つけて逃げることはできないのです。神を讃えます!私は神に許しをもらったのでした。

離婚からちょうど9年経ったその日、警察からジェイソンがハワードを射殺したとの通知がありました。ハワードが私に対して計画していたこと、つまり「死」が、私にではなく、まさに彼の身に起きたのでした。私がこの事件についてきいたその日、ある聖書の一節が思い起こされました。

「千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。」(詩篇 第91章7‐8節)

週末、ビクター、トレバーと私で、ジェイソンのいるカルガリー拘置所を訪ねました(マークはこの時、日本に滞在していました)。私たちは彼と神について話し、また、私たちが彼らと離れてからの何年間かに、ハワードとジェイソンとの間に起きたことについても話す機会をもちました。彼は、弁護士の助言とは反して、自分の罪を認め、自分の起こした罪に伴う結果を受け入れることを認めました。彼は7年間の拘置を言い渡され、ドラムへラー(Drumheller)刑務所に送られました。

1995年、ビクターとマリリンはアーチー(ビクターの弟)と彼の家族のために、あるイチゴ農園を購入しました。私たちは農場で働く人々についての多くの問題に直面し、ビクターはここで何かが解決されなければならないと気づいていました。ある夜、皆で集まってさまざまな問題について話し合っていると、ビクターは一握りの土を拾い上げて、それを空中に放ち、それまで農場を覆っていた“暗闇の力”を叱って一掃しました。

その秋、ビクターは嵐がくると予言しました。農場にいる人々の剪定が始まったのです。嵐は本当に来て、アーチーとその家族は農場から出て行きました。残された私たちは、火によって試されることになり、それは大変な火でした。

1996年の9月、マリリンによってある予言が公表されました。それはビクターが死に、彼が次の世でモーゼの聖職として生まれ変わるということ、そして、マリリンはショーン(農場に住んでいる青年)と結婚をするというものでした。私はこの予言を信じましたが、信じることは同時に闘いでもありました。というのは、私が、ショーンとマリリンが自分たちの力で預言を実現させようとしていたのを見ていたのと、二人が適切でない態度でお互いを扱っていたことが見えたからでした。私は目の前で起きていることに向き合うことで心が張り裂けそうになり、どのように予言が現実化するのかが不安でした。「もし、(この予言を信じることで)わたしが間違っていたら?」という疑問がありました。その疑問に対しマークが私に言ったことは、もし私が間違っているのならば、プライドを守るためにその間違った信念につかまっているよりも、間違いを認めて前に進むべきだ、ということでした。

この時、ショーンは私に断食をすることを勧めました。私は自分がどこに向かっているかがわからず、自分で自分をコントロールできていないことを告白するのと同時に、断食に同意しました。断食に際しての私の疑問は、「もしこの予言が本物であるなら、なぜ私の中にここまでの闘いがあるのか」というものでした。私が断食を始めたとき、神様に2つの質問を尋ねました。ひとつは、「自分がどんな人間なのか」、そして2つ目は、「この予言は本物なのか偽物なのか」でした。私は一体、もう何を信じたらよいのか、わからない気持ちでした。

18日間の断食を終えた後、神は私に話しかけました。神は私がどんな人間であるのか話しました。私は男性というものを憎んでいて、だからビクターに起こることを喜んでいたのでした。私は男性との個人的なそれまでの関わりが故に、この状況を通して同じ男性であるビクターに復讐をしようとしていたのです。神はまた、この予言が偽物であることを教えてくれました。

これらの答えをもらった後、私はビクターに、神からもらった言葉を伝えるため、電話しました。ビクターは私に、彼が見たビジョン(幻)について話しました。それは、大きな荒れ狂った熊に襲われている私が、ビクターに背を向けて立っているビジョンでした。ビクターは私に銃を渡し、私はそれを恐れつつも受け取り、5フィート程の立方体の大きな箱に銃を寝かせ、熊を狙って発砲しました。弾は熊の胸に命中し、熊を脅かしました。熊の胸は張り裂け、傷口は開いていましたが、それでも数ヤードほどこちらに向かってきました。熊は自分が被害を受け、そんなにも早く簡単に命を奪われていることに驚き、最終的に熊は倒れ、死にました。このビジョンは私に起きたことへの確認でした。

ビクターはさらに、私に真実への愛がなかったからこの予言を信じたのだということを言いました。

「また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。」(テサロニケ人への手紙 第二 第2章10‐11節)

この嵐はとても良いものでした。もしこれが起きなかったら、今私たちが手にしているものはなかったでしょう。これらの出来事を通して、神様はひとつひとつを私たちに示してくれています。

「というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。」(コリント人への手紙 第一 第11章19節)

「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」(申命記 第8章 2節)

まさに火をくぐるようだったこの一連の出来事は、私を、男性に対する憎悪から、そして農場での権力をもっていたマリリンを喜ばせようとすることから自由にするために、起きなければならないことでした。私たちは、火によって燃やされたことで、イエス・キリストの中で生まれ変わったのです。

神が善も悪も含めすべての上に立っているということを知ることができたことに、大変感謝しています。もし私たちに起きたことすべてが、神の仕業ではなく、偶然だったとしたら、なぜこのようなことになったのか、理解などできたものではありません!私たちは、すべてのことが「最終的によい」ことのために起きているのを何度も目の当たりにしています。神は私たちが頼んだり、考えついたりできる以上のことを与えてくれます。神以外恐れるものはない、そして、恐れるべきものは恐れのみであることに、今気づきました。神からの私への言葉、「あなたにはこれからとても大変な時期がやってきますが、恐れることはない。私はあなたを見捨ても見放しもしないから」と、「大変な試練を通ることによって、神の国に入ることができる」はその通りになりました。神を讃えます!神に祝福あれ!

ビクターが私たちと分かち合った最も重要な真実の一つ、それは、私たちが自分たちの置かれた状況を受け入れ、すべてに感謝をするということです。なぜなら、イエス・キリストがすべてのことを左右しているからです。

ロエス・ダーリーン・ベンソン Lois Darlene Benson
カナダ アルバータ州レスブリッジ Lethbridge, Alberta, Canada

 

関連項目

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