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私は1974年、カトリックの家庭3人の子供の長女として、ベルギーに生まれました。幼少の頃の教会との関わりといえば、毎週日曜日の朝に行くことぐらいでした。私が10歳ぐらいの頃、母は教会でカトリック教の教義を教え始め、そこの教区とさらに関わるようになり、私も3年間のカトリック教義の受講を終えた後すぐに母の授業を手伝うようになりました。
一般にティーンエイジャーは、他の人より自分はすごいとか、世の中のすべてを知っていると勘違いする傾向がありますが、私はその中でも最悪の、極端な例でした。私は自分が何でも知っている女の子だと思っていて、弟はいつも私のことをこう表現していました。ルール1、「イングリッドはいつも正しい」、ルール2、「もし万が一イングリッドが間違っている場合は、ルール1を参照すること」。私は人一倍自尊心が強く、自分という人間や学歴に自信をもっていたので、両親や周りのみんなを見下していました。
大学一年生のとき、将来の夫となったパスカル(Pascal)に出会いました。彼は私よりも7歳年上で、彼のもつ哲学的な考え方に感銘して賞賛していました。私たちはふたりで頻繁に会うようになり、そこから先の進展は早く、会って数週間しか経たないうちに、翌年婚約・結婚することを話していました。私が若かったのと、パスカルは世間的にみて不安定で(26歳でありながら、彼は人生で何をするべきかまだわかっていなかった)、私の両親は結婚話を遅らせようとしました。パスカルと私は彼らのアドバイスを受け入れようとはしませんでした。それからすぐに、私と両親との関係は悪い方向へと向かいました。私が覚えている限りでは、パスカルはこのことに関して、私よりも道理をわきまえていたと思います。ある日、私と両親が特に激しい議論をした後、母は私に、もし私が彼らのいうことが気に入らず私に従う気がないのなら、ここを出ていくのは自由だと言いました。私は言われたとおり、自分の頑固さで、家を出ました。その時、両親は私が“古いな”と思うことを言いました。「あなたは私たちの娘なのだから、私たちを喜ばす人にだったら、あなたを渡す」と言いました。その時にはまだ、その言葉が神によって与えられた言葉だとは、分かっていませんでした。神の言葉(聖書の中の言葉)によると、次のように書かれています。
「しかし、もし心のうちに堅く決意しており、ほかに強いられる事情もなく、また自分の思うとおりに行なうことのできる人が、処女である自分の娘をそのままにしておくのなら、そのことはりっぱです。ですから、処女である自分の娘を結婚させる人は良いことをしているのであり、また結婚させない人は、もっと良いことをしているのです。(コリント書T7章 37-38節)」 そして、 「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。 『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、 『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。』という約束です。(二ペソ書6章 1-3節)」
私はパスカルと暮らし始めました。当時彼は、自分ひとりを養うには十分の収入を仕事から得ていました。しかし、私たちふたりが一緒に暮らし始めるとすぐに、物事は少しずつ悪い方向へ向かっていきました。神の法律を破ったつけをその後払うことになっていきました。両親は私たちの結婚に反対し、パスカルが私をカルトに入れたというふりをして、私たちを裁判所に2度連れて行きました(ベルギーの裁判制度は日本と異なる)。私たちの家計はどんどん落ち込んでいき、かなりの借金を背負うようになり、支出を減らすためにパスカルの両親と暮らさなければならなくなりました。パスカルは鬱に悩み始め、彼はこの鬱から回復することはありませんでした。2年後、私の初めての妊娠は癌へと変わりました(その時私は22歳で、統計値によると、その歳でこの癌になる確率はゼロということでした)。パスカルは私たちの結婚の中に満足を得ず、ポルノの世界に走っていきました。彼はある人と保険仲介業の会社をつくりましたが、その人にいいように利用され、売春にも連れて行かれました。神の怒りは私たちの上にふりかかっていました。
これらの状況を通して神は、私たちが神から離れて自分勝手に生きたり、神に逆らって生きたりするとどうなるかということを私たちに教えてくれていたのでした。同時に神は、私たちに最低限必要なものは、与えてくれていました。神はパスカルに仕事を与え、それによって借金は少しずつですが返済でき、私は学校に戻ることができました。神は私の癌を癒すための医者も与えてくれました。
1998年、私たちは教会で結婚をすることを決めました。パスカルはこの機会に両親に連絡してみたらどうかと言いました。結婚式まで間がなかったので、私は両親に手紙を書き、ついこの間まで癌を患っていたことを伝え、親子間の連絡が途絶えていたことについて彼らを責めました。その手紙により、私たちは再び連絡をとるようになり、彼らを結婚式に招待して、彼らは参加しました。 その後間もなく、私は妊娠し、双子の女の子を産みました。この双子の誕生で、神は私たちが従わなかった故に失った子供を、彼は与えなおしてくれました。 そのとき、一見、両親との関係が復活したようには見えましたが、私の両親とパスカルとの間にはいつも見えないところで緊張関係が存在し、私はしばしば、大変な思いをしました。
1993年以来、パスカルと私はカナダに移住したいと思っていました。借金と子供の誕生で物事はなかなか進みませんでしたが、ようやく2000年の3月、ベルギーを去り、カナダに移住しました。
パスカルはレスブリッジ大学で会計学を学び、私は家で育児をしました。オーガニック食品を買える場所を探していると、近くに、ハーベスト・ヘイブンというオーガニック農場を見つけました。パスカルは時々、そこで働くことになりました。そこで働く間、彼は農場のマーク・ベンソンに、家計のことであろうと、家族のことであろうと、今まで私たちがもっていた問題についてすべて話しました。それでマークはパスカルに、ビクターに会うことを勧めました。ビクターは神から、私たちがぶつかってきたすべての問題は、私が両親に反抗して彼らのところを去り、パスカルがその私を正すことなく受け入れたことによる結果であるという答えを得ました。最初、私にはそのようなことはとても受け入れがたく、むしろばかげていると思いました。私はビクターに、私の親がどんなにか間違っていて、私たちに敵対することばかりしてきたということを訴えました。私はマークが、「あなたの両親がしてきたことは、確かに間違っていたかもしれませんが、私たちが今問題にしているのは、あなたの両親ではなく、あなた自身がしてきたことについてです」と言ってくれるまで、私はそのようなことを言い続けました。神が私の目を開くことを始めたのはその頃のことです。私たちは悔い改め、今まで行った悪を償い、両親に謝罪しなければなりませんでした。近々彼らは私たちを訪ねてくる予定だったので、このことを実行するいい機会だと思っていました。
しかし、彼らの訪問はとても緊迫したものとなり、しようと思っていた謝罪は、結局できませんでした。 ビクターに、私たちのいらだちについて話すと、彼は私の両親が謝罪に対してどう反応したかを尋ねてきました。その訪問中に起きたすべての成り行きのせいで、まだ謝罪をしていないことを伝えると、ビクターは、神が私たちに何かを要求したときは、私たちはそれを“すぐに”実行する義務があるといいました。それで、私たちは彼らに謝罪の手紙を書きました。
カナダに来て以来、パスカルは、スピリチュアル(霊的)にもっと活発な生活を送りたいと思っていたので、レスブリッジのエバンジェリカル・フリー教会(福音主義教会)に参加していました。また、ビクターと何度かスピリチュアルなことに関する話をする機会がありました。しかし正直なところ、当時、パスカル以上に私の方がビクターの話す内容について違和感をもっており、自分自身の信仰にとどまっている方が心地よいと感じていました(後に、私はそれがたったひとつの真実である気がつくのですが)。ある日、ビクターとポールが私たちを訪ねてきて、もし経済的に困っているのなら、ビクターは私たちに食べ物を無料で提供してもよいと申し出ました。私は、その申し出をきいて、これでもし何かあっても子供たちが飢えることはないという保証ができたことに、信じられないほど感謝したのを覚えています。
そのビクターとポールの訪問の際、ビクターは以下の聖書の節を与えてくれました。 「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。(マタイ 10章37-39節)」 不思議なことに、なぜかこれらの言葉は私の心にぐさっとくるものがあり、胸がかきむしられるような気持ちになりました。数日後、私はビクターの申し出に感謝の気持ちをあらわしたくて、彼の文書をフランス語に翻訳することを決めました。
さらにそれからビクターと何度か話をした後、私たちは私たちのしているいくつかのことが神に反していることだということに気づき、それらをやめました。十字架のペンダントをつけることや、クリスマスやイースターを祝うこと、新生児に洗礼を受けさせること、豚や貝類を食べることなどです。私は再び妊娠していたのですが、生まれてくる子供を洗礼させないという私たちの決心は、聖書で新生児の洗礼は間違っていると明らかに示されているのにも関わらず、特に母の反感を買いました(母はカトリック教の“嘘”の伝統を信じているので)。パスカルと私は毎日聖書を読み始め、いくつもの節について分かち合ったり、話し合ったりするようになりました。
パスカルは霊的探求の中で、パウレット・ボウデット(Paulette Boudet)の『この闘いはあなたのものではなく、わたしのもの』という本を読み始めました。彼女は自身の本の中で、自分の宗教体験について語っており、特に、カリスマ性のあるミーティングについて書いていました。そこでは、人々が手をかざされた後、トランス状態(神がかりの状態)またはひれ伏した状態になって、聖霊を受けることができるというものでした。パスカルは私にもこの本を読むように言い、私の本能は、ここに書かれていることは良くないことであるとわかりました。パウレット・ボウデットはまた、自分が手を置かれて以来、神との関係を持つことができたと主張していました。パスカルは、この考えに魅了され、神と本当の関係をもつために必要な、くぐらなければならない関門や現実に向き合いたくばかりに、それらを無視しました。
2000年12月23日、パスカルは私に理由を話さずに、ハーベスト・ヘイブンに行ってくると言いました。土曜日は彼らの休みの日なので、私は彼に、農場に電話をかけて、彼らの都合を行く前に尋ねたらどうかと提案しましたが、彼はそうしませんでした。 その日の午後、パスカルが出かけてしばらくして、私は妊娠によるとてつもない腹痛に襲われたので、パスカルに帰ってきて子供の面倒を見て欲しいと電話をしました。血混じりの嘔吐をしながら、私は神に泣き叫び、このようなことがまた起こらないように頼みました。
パスカルが戻ってくると、彼は何かに腹を立てている様子でした。彼は、パウレット・ボウデットの本に書かれていたように、誰かが彼に手をかざしてくれることを期待して農場に行ったのでした。しかし、誰も彼に手をかざすことはなく、神が彼らに見せたのは、パスカルが人生の中で何かを悔い改める必要があるということでした。私は彼に、いくら彼が自分自身のことを祈ってもらいたくても、ビクターや他の皆の祈りを強制することはできないと言いました。パスカルはその日の夜になってもまだ腹を立てていて、自分の部屋に行き、聖霊を受けられるように一人で祈ると決めました。彼の祈りの終わりに、彼は階段を上がって戻ってきて、そのとき彼の最初の心臓の問題が起きました。彼は、「心臓が数秒間止まって、まるで地面に押し付けられているかのように感じた」と説明しました。何度かこのようなエピソードを目撃し、そして彼が説明したようなことが、その後も何度か私の目の前で起きました。
その頃から、物事はどんどん悪い方向に向かっていきました。それは、パスカルの健康だけでなく、私たちの周りのすべてのことでです。ほんの少しの例を挙げると、パスカルの車が朝の6時に、真冬(-30℃)の田舎道で壊れました。誰も止まって彼を助けようとはしませんでした。こんな真冬の寒さの中では、暖をとる術もなく、容易に深刻な結果を招きかねません。ほかにも私たちのいくつもの生活必需品が壊れ、修理を必要としましたが、私たちの厳しい生活予算を割くことはできませんでした。双子は病気にかかり、抗生物質を使わなければなりませんでした。パスカルは目の伝染病にかかりました、などなどです。
パスカルの気性も変わりました。パスカルは、ビクターが、聖書に書かれているサバス(休息日)として自分の店を土曜日に閉めるのならば、自分が毎週土曜日に買い物をしてきたという習慣をビクターのために変えることはしないといい、ビクターに対して、自分の心を頑な(かたくな)にしました。そうすることによって彼は、もしお金が足りないときは食べ物を無料にしてあげようというビクターの申し出を拒否することになりました。私は今でも、当時他の店で買い物をしていたとき、神から与えられた申し出を踏みにじっているという、大きな罪の意識を感じたことを覚えています。またその年、パスカルはクリスマスを祝わないという私たちの決定を撤回しました。
その頃、パスカルと私はパウレット・ボウデットの本について話し合い、彼が受け取ったはずの“霊(the Spirit)”についても何度か話し合いました。パスカルは私にも同じように霊を授けさせようとしましたが、私の中の何かがどうしてもそれに対して反抗し、断りました。今では、神がそのとき私を守っていてくれていたのかがわかります。
ある日、イーフリー(E-Free)教会からの帰り道、パスカルはビクターが私たちに見せてくれた寛大さが故に、彼自身に起きたことについて説明の義務があるのではないかと思い、農場に立ち寄ることにしました。パスカルはそこでビクターとロエスに会いました。ロエスが彼のよそ行きの服に気づいてコメントすると、彼は教会からの帰り道であることを説明しました。ロエスは彼に、「教会に行くことと神に仕えることとは違う」といいました。それから、パスカルがビクターに、彼自身に起きたことを共有したかったと伝えると、ビクターがその日の午後、私たちの家を訪ねてきてくれるということになりました。パスカルがそこを出発して間もなく、ビクターは彼を後から追ったのですが、そのときロエスが神から与えられてビクターに伝えた言葉は、「残された時は長くない」でした。
パスカルは子供達に昼寝をさせ、その時間を使って、ビクターがくる前に聖書の節を調べようとしたのですが、子供達が嫌がったため、彼はとても怒って、彼らにひどくあたりました。私は彼に、もし神様の霊をうけることが、彼のしている振る舞いを起こすのならば、私は絶対にその霊を受けたくないと言いました。
ビクターがマークと一緒に到着すると、パスカルは、彼がビクターによって断られたため、自分ひとりで祈ることを決めて、霊を受け取ったことについて話し始めました。ビクターはパスカルに、彼が霊を受け取ったとは信じることができないといい、私たち皆で神に祈って、本当は何が起きたのかを示してもらうべきだと言いました。祈りの中で神は、ビクターに、パスカルが受けたのは、神からの聖霊ではなく悪霊であること、そしてそれは、神がパスカルに前もって悔い改めをするように伝えたにもかかわらず、彼が自分勝手な道を選んで行動したことにより起きた結果であると示しました。
このことを私たちと共有する前に、ビクターは私の方を向き、「イングリッド、残念です」と言いました。ビクターとマークはパスカルに警告をしようとして彼に、もし悔い改めなかったら、私たちにとって物事はいい方向には進まないと言いました。パスカルが彼自身のために祈って以来、悪いことばかりが起きているという事実をビクターとマークは全く知らずにそう言ったのですが、私は経験から知っていたので、神がその理由を見せてくれたことで説明がつきました。ビクターが去ったあと、パスカルは動揺していました。彼は涙を浮かべ、私がどう思うかを尋ねました。私はいつも自分の考えることを正直に話すのが苦手なのですが、このときは、腹の内にある恐れを静まらせ、パスカルに、ビクターが言ったことを真剣に受け止め、よく考えた方がいいと言いました。パスカルは私にとても腹を立て、ビクターの味方をするのではなく、パスカルの妻として彼を支えるべきだと言いました。もちろん私は、彼が言っていることには賛成できず、でも心の中でビクターが言ったことが本当だということだけはわかっていると言いました。
パスカルの心臓の問題はよくならずに、今ではほぼ毎日、その症状を訴えていました。医者は、彼の心拍を24時間監視する装置を使って原因を究明しようとしました。装置は彼の訴える症状が確かに存在する記録を残しましたが、原因が何であるかを突き止めることはできませんでした。
2月12日の月曜日、パスカルは仕事のために6時に起きて、そのあとすぐ私は、多分外からだと思われる騒音を聞きました。それはとても大きくて奇妙な、いびきのような音でした。私はまだ半分眠った状態ながらも、その音が野生動物からではないかと思い、心配なのでパスカルが仕事に行く前にチェックしてもらおうと、彼を探しに行きました。洗面所に行くと、浴槽にもたれて倒れている彼を見つけ、その奇妙な音は彼から発せられたものであったと気づきました。私は狂乱なパニック状態の中、救急車を呼びました。病院に着いたとき、「パスカルの命が繋ぎとめられました」というニュースを、望みをもって待っていましたが、私を待っていたのは彼の死という知らせでした。
あまりにもショックで、私は、たった今起きたことが信じられませんでした。悪夢から目覚めたいという思いでした。夫を亡くしたというショックの上、さらに彼の死の結果に向かい合うという現実が待っていました。異国の地で一人ぼっち、英語もうまくなく、二人の小さい子供とお腹には7ヶ月の赤ちゃんがいて、貯金も収入もありませんでした。お葬式のためのお金すら一銭もありませんでした。
病院から家に戻り、自分の家族に電話でこの知らせを告げました。パスカルの両親はお葬式に参列するために予定していたよりも早く来る事になりました。パスカルの姉のファビエン(Fabienne)もいっしょに来ました。私はしばらくの間、友人の家に住むことにしました。その友人たちとは、モルモン教徒で、彼らの教会に私を参加させようとしました。さらには、モルモン主教のひとりを招いて私に手をかざすことさえしようとしましたが、私はそれを拒否しました。神が私を守ってくれていたのでした。
事が起きて最初の晩、私は眠ることができず、以前よく読んでいたある秘儀の本の影響で、パスカルが星となって現れて、私がどうするべきかを教えてくれるのではないかと期待していました。次の日、抵抗できない何かの力によって、私はビクターに電話せずにはいられなくなりました。パスカルの死について彼らに伝えなければならなかったのと、前回農場を訪れたときにビクターが私たちに言ったことについてビクターに質問をしました。たった今起きたことについて、なぜだかビクターが私にその答えをくれるのではないかという確信が私の中にありました。
最初ビクターは、すこし気が進まない様子で、なぜ私が電話をかけてきたのかをききました。もっとも、ずっと連絡をしていなかったので、彼の反応は理解することができました。 ビクターに、パスカルがなぜ亡くなったのか、彼が悪霊を受け、「パスカルが罪の悔い改めをしなかったら、物事はいい方向には進まない」と神が言ったことが成就したせいでパスカルは亡くなったのかをききました。ビクターは、そのとおりだと言いました。それをきいたとき、私は事の重大さに愕然としました。私たちの都合によって神を信じたり、信じたいことだけを選んで信じたりするだけでは、神を本当に信じることはできていない。私は神が本物であることにやっと気がつきました。私は怖くて、何ヶ月もの間、自分もパスカルのように死ぬのではないかという恐怖の中に過ごしました。それは単に私の側の、神の正義と慈悲に対する完全否定であり、幼少からのカトリック教教育の名残でした。
パスカルの遺体は解剖のためカルガリーに送られました。解剖の結果、パスカルの死は、原因不明の不規則な心拍によるものでした。彼の死後に医者が行った検査によると、数値的には、彼の心臓は完璧な状態で働いていたにもかかわらずです。かかりつけの医者は、パスカルの死の原因が、身体的なものではなく、霊的なものであると言及するほどでした。
パスカルの死によって、私が大変な思いをしたということは前述しました。神は、私に必要なことを、どんなに些細なことも含め、私が何もしていないのにすべて面倒をみてくれました。神は人々が私に対して寛大になるようにさせてくれ、私の名義での銀行口座を開設してそこにお金まで振り込んでくれました。間もなく、私には生活できるだけのお金ができ、さらには私たちの借金をすべて返済できるまでに到りました。葬式の費用は政府が出してくれました。パスカルが亡くなる1ヵ月前、彼はもしものことが彼に起きた場合のため、必要となるすべての書類をバインダーに整理していました。この類の仕事に精通している友人も私を助けてくれました。人々はどこからともなくやってきて、私を訪れ、食事をつくって持参してきてくれました。
パスカルの両親は、葬儀の2、3日後に到着しました。私の周りの人たちは皆、悲しみにひたっていましたが、私自身はそうではありませんでした。それにはいくつかの理由がありました。1つ目の理由は、私にはパスカルの死の理由がわかっていて、恐れからは抜け出し、神がそのような方法で罰した誰かに対して嘆き悲しむべきだとは思えなかったこと。2つ目の理由としては、私のものすごい自尊心により、まるで自分がみんなより優れた人間であることを信じて疑わずにひたっていたためです。3つ目に、神は私に物事を処理するための強さと、子供たちの面倒をみるための落ち着きを与えてくれました。4つ目に、私は私たちの結婚に関して苦い気持ちをもっていて、その気持ちがパスカルの死によって、やはり私の方が正しかったことを弁護しているかのように受け止めました。私たちが結婚していた何年かの間、彼は私に、自分がしていることや私にやらせようとしていることは普通で、それを受け入れられないのは、私に問題があるからだと信じさせようとしました。しかし実は、これらのことは、彼が告白して償うべきだった罪であり、彼が神に従うべきことでした。
パスカルの両親が、私がきっと絶望的で壊れたような状態でいるのだろうと予想していたのにもかかわらず、そうではないということを発見したのはちょうどその頃のことです。今となっては、彼らに対して、私のあわれみがいかに欠けていたかとわかります。彼らが悲しみの中にいたので、私は彼らより自分が優れているように感じ、彼らを見下していました。神が私に慈悲を見せてくれていたからこそ、私は悲しみに苦しまずにすんだだけなのに、それに気づかない私は、与えられた恵みを逆手にとって、理不尽にも自分にその価値があるものと思っていました。
葬儀の後すぐに、神からの夢を見ました。それは神が私に、パスカルに起きたことが私や子供に起こらないようにするために、私が悔い改める番だと示した夢でした。私はビクターに電話をすると、彼は私が見た夢が、神からのものだと思うか、悪魔からのものだと思うかを尋ねました。私は「わからない」と答えました。ビクターは、その夢が神からのものであること、そして、悪魔は私たちの悔い改めなどは促さないといいました。さらにビクターは、ビクターがしてあげられることは何もないが、私が神の方を向き、どうするべきかを見せてくれるよう、神に頼みなさいといいました。私は祈りました。最初、何も起きないので、とても不安になってきました。続けて神に懇願すると、神は私がどのように十戒を破ってきたかを見せることによって、それに対する答えをくれました。何十もの過去の出来事が私の目の前に浮かび、それらの状況で自分がどのような罪人であったのかに気づきました。私は嘘つきで、盗人で、人を欺き、裏切り者で、犯罪者で、自慰者で、臆病者で、反抗的で、ひねくれもので、うぬぼれもので、高慢で、無礼者で…、ここには書ききれません。私は、ビクターに、神が見せてくれたことを全て告白したいので、私のところに来てくれないか頼みました。私たちの会話は7時間にも及びました。結論は、私が今まで不当な扱いをしてきた人々から許しを得る必要があり、できるだけ罪を償うということでした。
会話の終わりで私は、ファビエン(パスカルの姉)が、彼女のもつ悲しみとパスカルの死への疑問について、ビクターに話してみればといいました。彼女にも神が私に与え始めていたのと同じ癒しを受けて欲しかったのです。会話の中で彼女は、ビクターに、「パスカルの死による、この悲しみからの痛みは、彼が天国で神と共にいると知ることで和らげられます」と言いました。ビクターは彼女に、パスカルに起きた本当のことと、それがなぜ起きたのかを話しました。彼女はショックで、彼女の両親とそのことを共有しました。それで彼らは、なぜ私の態度が彼らにとって奇妙にうつっていたのかを理解しました。
その時から、私たちの関係は悪くなりました。彼らには、神が私に見せてくれていたことが見えることは与えられていなかったので、私が決めたいくつかの事について反対し、私が自分の人生からパスカルの存在を消そうとしていると解釈しました。神が私を召そうとしたので、私たちの間には自動的に隔たりが生じていたのです。彼らは私の言動についてのメモをつけ始め、私とビクターの電話内容を盗み聞きしたり、私の知人に私に内緒で話したりすることなどを始めました。彼らは生の真実を受け入れることができず、私がカルトの被害者になったと納得することを選びました。
罪を告白したすぐ後、聖書を読んでいると、それまで全く異なる理解をしていたことに気がつきました。以前は、同意できなかった節や、意訳したり現代風に直したりする必要があると思っていた節がいくつかありましたが、もはやそうではありませんでした。また、前はあいまいな意味だと思っていたいくつかの節も今は理解できるようになっていました。昨日あいまいだと思っていたところでさえも、今日は理解できるようになっていました。
神が私に見せてくれたことの後で、私はベルギーに戻って、1993年に家を出たとき両親から奪ったことに対して罪のつぐないをしなければならないと確信していました。また、ほかの何人かの人々に対しても、私の彼らに対する態度や過去に彼らにしたことに対し、謝罪をする必要を強く感じていました。私が謝ると、人々は私がなぜそんなことをしているのかに驚き、驚くだけではなく、迷惑そうにしました。なぜなら、彼らは私に何が起きているのかが理解できないのと同時に、自分自身にも同様の罪があることを彼らに思い出させてしまい、不快感を与えるからでした。
3人目の子供が生まれた一ヵ月後、私は全ての持ち物とともに子供たちとベルギーに戻り、両親と住むことになりました。はじめ、物事はそれほど悪くはありませんでしたが、それはひとえに、私の家族が、私の新しい信仰はパスカルの死からのトラウマのせいで、長続きしないと思っていたからです。彼らは私と農場の人たち、特にビクターとの物理的な距離が、私の感覚を以前の状態に戻すことを期待していました。私と義理の両親との関係はよくなってはいませんでしたが、私の両親にとっては、それでも構わないようでした。結局、うちの両親にとってみれば、何年かぶりにやっと実の娘が戻ってきたわけです。そして娘だけでなく、孫娘たちといられることも楽しむことができました。
私はとても孤独に感じました。子供たちの面倒をみたり、彼らに必要なことを与えたりしても、私には話せる人がおらず、私のような信仰をもつ人も、誰も周りにいないのです。ビクターとポールとのEメールのやりとりをすることで、私は慰められ、勇気を与えられました。私が孤独を感じた理由の一つとしては、私が自分を他の人よりも優っていると感じていて、周りの人との間に壁をつくっていたからです。
何ヶ月か後、私はカナダに戻ることを決めました。両親と進む方向や信じるものが全く異なっていたため、彼らの屋根の下で暮らすことが難しくなってきたからです。さらには、ポールとの連絡の取り合いを通じ、ポールと私との関係はただの友人以上のものへと変わっていました。私が両親に私のカナダ行きの計画について話すと、彼らはあまり肯定的ではありませんでした。なぜなら、私がビクターの影響下にあることや、私が自分自身と子供たちを養うのに十分な収入を得られるかどうかという心配、そして、子供たちが私の信仰とビクターの元で育てられることに恐れがあったからです。
私の母の脅迫と、匿名の警告の手紙のため、私は予定より1週間早く、秘密裏にベルギーを離れることを決めました。私は、「少し考えたいことがあるので、子供たちと一緒に数日間の旅にでます」という置き手紙を残し、空港へと向かいました。しかし、飛行機に乗る前に警察官が空港で私を逮捕しました。その日、裁判所は私の子供たちの親権を、私の両親に渡すことを言い渡し、私が子供たちとベルギーから出国することを禁止しました。私は恐ろしくなり、もっていたビクターが書いた文書をすべて、空港のトイレのゴミ箱に捨てました。そうすることで、私は、自分の身を守るため、神を否定したのです。聖書には、次のように書かれています。
「しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います(マタイ 10章33節)」。
そして、神も私を否定しました。
いつも献身的に子供の面倒をみてきたにもかかわらず、私は決して親権を取り戻すことができませんでした。何度も繰り返された裁判でも、親権は両親へと渡され、その後、私の両親と義理の両親の両者へと移りました。神が私にとって一番でなければならなかった。たとえそれが、子供なしでカナダに行くという意味となっても、です。5ヵ月間の無情な裁判の争いの後、私はカナダに単身で戻りました。この5ヶ月は、私にとって地獄でした。もし子供と一緒に暮らしたかったら、私は両親の元で暮らさなければならず、他に選択肢はありませんでした。彼らの目的は、彼らが裁判官に言っていたこととは違って、“悪”でした。彼らは精神的な残酷さで私を追い込み、もし神が私を守ってくれなかったら、私は簡単に、精神的な崩壊、または自殺にいたっていたでしょう。神は、私の心と私という人間を一掃するために、このような状況に私を通しました。私たちに起きることで、私たちが必要としないものや、報いを受けるに値しないものはありません。今はどんなに悪く見えることも含め、すべては良いことです。私は今、それをはっきりとそうだということができます。
何ヶ月もの間、私はまだ子供が自分のもとに戻ってくることを期待していました。それが実現することなく、月日は過ぎ、私は両親に対して苦い許せない気持ちをもつようになりました。私は彼らが私にした“悪”の行為すべてが罰せられていないことを受け入れることができませんでした。この許せない気持ちがあった罪の報いで、私は、手と膝の関節炎に悩み始めました。どの治療法も効くことはありませんでした。ある日、ビクターは私に、その私の罪について指摘し、それは神が照らす光の中で、明るみに出されました。神が私にそのことを悔い改めさせると、関節炎の痛みは一週間のうちに消えてしまいました。
数週間後、私は両親と義理の父母らに電話して、彼らを許したということを伝えるのと、彼らからも許しを請うべきだと強く感じ、そうしました。しかし、言うまでもなく、彼らはなぜ私がそんなことをしているのかを理解できず、また、彼らのうち何人かはそれを受け入れられませんでした。私には、自由がもたらされました。
数ヵ月後、神は私に、子供たちの「救い」に必要な状況を与えるため、神こそが、彼らをベルギーに住まわせることを決めた張本人であるということを見せてくれました。彼らの救いの方が、彼らにとって、彼らの母とともにいることよりもずっと大切なことであると受け入れる心を、神が私に与えたのです。その瞬間、私は自分の子供を神以上に崇拝するという罪から解放されました。さらに、すべての状況は、これに関わった人々みんなにとっても、彼らの救いのために必要なことであるとわかっていました。私の家族、パスカルの家族、友人、弁護士ら、みんなにとってです。また、神は、これらの人々は神にとって、私の子供たちと同等に重要な存在であるということを教えてくれました。
2007年の夏、私はトレバー・ベンソン(Trevor Benson)と結婚しました。4年間にわたる婚約の時期を経てのことです。私は自分が彼よりも優れていると思っていたので、いつも彼の悪いところや弱点を指摘してきました。しかし神は、私の方が優れているなどということは全くないということを見せ、その過程の中で、トレバーやパスカルがもっていた欠点以上に、私の方こそが最悪の人間であることを見せました。 トレバーとの結婚生活の最初の年、私は2度の流産を経験しました。私は神になぜこのようなことが起きているのかをたずねました。神が見せてくれた答えは次の通りです。2度目の流産は2008年7月14日でした。それは、私の両親が私とパスカルとの結婚について公けに反対してからちょうど15年目の、同じ日でした。そして、この最後の流産は、4回の流産と3人の娘という、私が失った合計7人目の子供でした。 聖書には次のように書かれています。 「それでも、まだわたしに反抗し、わたしの言葉を聞こうとしないならば、あなたたちの罪に七倍の災いを加える。(レビ記 ?26章 21節)」 私が両親の家から出たとき、私は彼らの子供のひとり(つまり私自身)を盗み、そして私は、私の罪のせいで、7人の子供を失ったのです。 そして神は、その罪の報いが果たされた今、私に、失うことではなく、「再び満たす」ことを与えてくれています。下記の2つのことをみれば、神がすべてのことで私たちを導いていることがわかります。 2002年6月29日、私は最後の裁判の後、ベルギーから子供たちを残して単身でカナダに渡りました。私は裁判の行方を人や弁護士の正義に頼るのではなく、神の手にゆだねました。
そして2009年の6月29日、子供たちを残したのと同じ日の7年後、私はガブリエル(Gabriel)という息子を授かりました。 一体誰が、このようなことを設計できるでしょうか。神のみができることです。神の慈悲とすばらしさに、主をたたえます! これらすべての出来事を通して、神は彼の姿を私に現し、私の正義ではなく、「神の正義」と「神の意志」と「神の時期」によって、神の仕事を成し遂げ始めました。神は私のもっていた、いくつかの恐れから私を救い、病を癒し、叱咤激励を通して、神の慈悲を見せてくださいました。
今ここに書くことは、まだ自分でも言葉の意味が十分に理解しきれてはいませんが、私が言いたいのは、私たちの正義ではなく、神の正しさの上で物事が起きていることを知ると、そこには「無限の自由」があるということです。私たちが正しいということは全くなく、私たちがもっていると思っている正義などは、神にとっては忌み嫌うことだということです。
Ingrid Francine (Nicolay) Benson Lethbridge, Alberta, Canada イングリッド・フランシン(ニコレイ)・ベンソン カナダ、アルバータ州、レスブリッジ
関連項目
>>そのほかの人の証言については「私たちについて(英語)」セクション
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