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どのように救われるか

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How One Is Saved

 

救いは、主イエス・キリストと共に始まり、共に終わります。神は全”¥者であり、生きとし生けるものすべての創造主です。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を”Eび、神の御座の右に着座されました。(ヘブル書12章2節)」

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永?”のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)」

“ヌ者のみなさん、あなたの宗教の”w景や体験、教義をわきに置いてください。簡単に言うと、すべてを”虫?にして下さい(すべてを取り去ってください)。あなたの神との関係はこれらのものとは全く関係ありません。あなたにとって必要なものはイエス・キリストの血です。“゙の血がなければ、あなたは死んでいます。あなたがどれだけ物知りで、どれだけ成功していても関係ありません。“゙の血があなたの中になければ、そこに違いはありません。一”x、”゙の血があなたの血管を通れば、あなたは生命を”セ、新しい生命、永?”に続く、本”魔フ不滅の生命を手に”?れます。“゙の血はあなたを全く違う人にします。あなたの中にある、神の命です(命は血の中にあります)。そして、あなたは神の前に正しくいることが確信でき、神の安泰と平和を手に”?れるのです。

イエス・キリストは言いました。「わたしの”?を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも”゙のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。(ヨハネ6章56-57節)」

イエスはこうも言われました。「わたしが”ケであり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14章6節)」

神の聖霊によって、使者のヨハネはこう書きました。「そのあかしとは、神が私たちに永?”のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。(ヨハネの手紙?T 5章11-12節)」

あなたは、救われているか救われていないか、また、神の子が人間になって私たちのために死んでくれた力を”セたか、”セていないかで、その中間はありません。

使者のペテロはこう言いました。「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使”kの”ュき4章12節)

ペテロが話していたのは、“イエス・キリスト”についてです。イエス・キリストは、ヘブライ語で“Yehoshua HaMashiach(イェホシュア・ハ マシアック)”としても知られ、その意味は、「神は救世主」または「(現在も未来も)救う人」です。

人は、自分で救われようと決心したり、救われるタイミ?”グや方法を選ぶことはできません。すべては神の”ュきによって決まるからです。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ”?えてくださったのです。(エペソ人への手紙2章8-10節)」

もし、あなたが自分自身のことや自分の罪にうんざりして、それまで感じていたような魅力や意義を世の中に感じなくなってきて、その代わりに神についてや、神の意志が何かを”M心に求めるようになったら、それはひとえに、神があなたにそうさせているからです。これらは、神があなたに何かを与えてくれている証拠で、それを最後までやりとげれば、いつの”?か本”魔ノ感謝する”?がくることでしょう。これらすべてのことは神の手にゆだねられています。神こそが、私たちを救うために、”ケをつくり、タイミ?”グと手段、かかわる人々、言葉や状況などを選んで私たちにめぐりあわせます。神が、次のように言ったとおりです。

「わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの”?にその人をよみがえらせます。預言者の書に、『そして、”゙らはみな神によって教えられる。』と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます。(ヨハネの福音書6章44‐45節)」

宗教があなたを救うことはありません。教会のメ?”バーになったり通ったりすることで、あなたが救われることはありません。いかにすばらしい行いをしても、それはあなたを救いません。“良い人であること”、“誰も傷つけないこと”もあなたを救うことはできません。教義を守ることも、たとえそれが正しくても、それ自体があなたを救うことはできません。いくら勉強して、知識を”セても、それがあなたを救うことはできません。様々な事象に関する真実を知ることも救いにはなりません。世の中のことについて理解したり知恵を”セることもあなたを救いません。あなたの教会の牧師や祭司、”N”zの人々、親、どんなスピリチュアルな指”アや”アきも、あなたを救うことはありません。

救われた状態で生まれてくることはないのです。あなたの家族がどんな宗教”w景をもっているかどうか、あなたの両親がすでに救われているかも関係ありません。イエス・キリストがあなたに姿を現し、それに気づき、理解することのみが、あなたを救うことでしょう。神があなたにさせること以外で、あなたが自分自身を救うためにできることはありません。もし私たちがここで話していることが、あなたがするべきこととして与えられていたら、今があなたの救いの時です。

聖書には、使”kパウロによって、こう言明されています。

ローマ人への手紙10章6-13節
第6節 しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが”Vに上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。
第7節 また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。
第8節 では、何と言われているのだろうか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ”`えている信仰の言葉なのです。
第9節 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
第10節 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
第11節 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
第12節 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に”ッじ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
第13節 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。

人間は皆、罪人であるということを知ってください。私たちは自分自身を救えません。神のみが神の決めたときに救うことができるのです。私自身が体験したように、もしあなたが神に向かって真に助けを求めれば、あなたのための救いの”?はやってきます。プライドや頑固さを捨ててください。自分にとって”s合のよい信仰を捨て、真実を受け”?れる覚悟をしてください。あなたが信じたいことや信じるように教えられてきたことを信じるのではなく、本”魔ノ救われるために信じなければならないことを信じる覚悟をしてください。もし、あなたが今、心に平和を感じていないのなら、あなたがこれまで信じてきたことがあなたを救えていないという証拠です。それでも、最終”Iには神がすべて、あなたのためにしてくれます。

「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに”ュいて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ人への手紙2章12-13節)」

イエスはこう言いました。「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネの福音書8章32節)」

さらに、こうも言いました。「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。(ヨハネの福音書8章36節)」

間違った福音、人を欺く福音があることを知ってください。何百万という?”多くの耳障りのよい、いわゆる“いい人” や、”M心な宗教関係の人々が、人を救うためといいながら、間違ったことを教え、福音の事実を曲げて、人々を惑わしています。たとえば、教会の人がよくいう言葉、「“主イエス・キリストよ、私は罪人であることを告”窒オます。あなたは私のため、皆のために、すべての罪をつぐなうために十字架にかかって死んでくれました。あなたの再臨を求め、あなたを私の救世主として心に受け”?れます”とさえ言えば、私たちは皆罪びとなのだから、そう告”窒キるだけで救われます」は、聞く人を一時”Iには安心させますが、実は神が私たちに一”ヤ求めている“悔い改め”を妨ぐだけの、大きな惑わしのひとつです。

イエス・キリストだけが、あなたを受け”?れるかどうか、そのすべてを決めるのであって、私たちが告”窒キるかどうかは問題ではありません。神だけが主なのです。神が、自分で創ったこの宇宙すべてを支”zしているのです。神はあなたに、神のために何かして欲しいと頼んでいるわけでも、あなたを必要としているわけでもありません。神はあなたを必要としてはいません!洗礼者であるヨハネが、”゙から洗礼を受けるために来た人々の、あたかも神のために洗礼を受けてあげようという傲慢な態”xに対して、一喝した言葉を聞いてください。

「それで、ヨハネは、”゙からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。“まむしのすえたち。だれが必ず来る御”{りをのがれるように教えたのか。それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り”|されて、火に”鰍ー込まれます。”(ルカの福音書3章7-9節)」

神が主であることを忘れてはいけません。神があなたの救世主となる唯一の方法は、イエス・キリストがあなたの主であり、あなたの主人であり、あなたの所有者となることで、事実、神はあなたの地位や身分、あなたの考えに関わらず、主であり、主人であり、そしてあなたを所有する者なのです。神はすべてを絶対”搦。し、これからもずっと、いつも、”搦。し続けます。私はあなたに、あなたの考えでないことを言わせようとしたり、あなたが正しいことをできると勝手に想定したくはありませんが、でも私が教えたいのは、もし神があなたを神の方に引き寄せようとしているなら、宗教”Iになったり格式ばったりせずに、でも尊敬の”Oをもって、丁重な態”xで神に話しかければいいということです。神を軽く扱ったり、だましたり、驚かすことはできません。神に頼り、神を信じてください。神はあなたのことをすべて知っています。そして、神はすべてを、どんな小さいことでも、コ?”トロールしているのです。聖書に書かれている通りです。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル人への手紙11章6節)」

神を信じる心を与えてくれるよう、神に頼んでみて下さい。信じる心は与えられるもので、あなたの”w力で手に”?れられるものではありません。神を探し求め、そしてどんなに自信をなくしてしまうような状況に陥っても、いつまでもあきらめないでください。聖書には預言者のエレミヤを通じて、神の聖霊による約束がされました。

「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。(エレミヤ書29章12-13節)」

神に、あなたの人生をすべて引きとり、全く新たなものにしてくれるように頼んでみてください。神に、あなたの罪を拭い去り、あなたが悔い改めることを与え、新しい性質を与えられることで、もうそれ以上、罪を”ニさなくてもいい自分に変われることを頼んでみてください。罪は神の法を”jることで、神の法は、聖書に十戒として要約されています。

神の法律は守る必要があり、私たちは守る”w力をしなければなりませんが、”ッ時に、失”sは必ず訪れ、神の法を守ること自体があなたを救うことはないことに気づくでしょう。神の法を守ることは不可”¥なのです。だからこそ、神の救いが必要なのです。救いとは、神によって与えられたあなたの新しい性質によって、あなたが神の法を守ることを可”¥にさせるのです。あなたの力ではありません。神の慈”゚こそがあなたを神の意思に調和させることを可”¥にするのです。それが神の慈”゚というものです。

神の法は、あなたをイエス・キリストの神の慈”゚へと”アくものです。

「こうして、律法は私たちをキリストへ”アくための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と”Fめられるためなのです。(ガラテヤ人への手紙3章24節)」

もしその”ケを歩み始めたら、そむいたり、他の”ケを探すことなく、誠実に歩み続けなさい。そうすれば、神はあなたに慈”゚を与えることでしょう。「正しい者は七たび”|れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。(箴言24章16節)」と聖書に書かれている通りです。正しいことをすることを探し求める人は、たとえ”|れても、どのように起き上がるのでしょう?「私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。(詩篇55章16節)」です。そして、神が「苦”?の”?にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。(詩篇50章15節)」と言ったとおりです。

あなたが神の前に正しいことをすれば、神があなたを”ノ栄させ、いのちを与えることを知ってください。それを知ることが、神に栄光を与えていることです。

あなたが神の前に正しいことをするのに助けが必要なとき、どうしたら、神があなたに”嘯ヲてくれるとわかるのでしょう?預言者ヨハネを通して、イエス・キリストは次のように約束しました。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。 (ヨハネの手紙?T5章14-15節)」

私たちが神に自分のことを救ってくれるように頼むのに、どうしたらそれが神の意思に沿って頼んでいることがわかるのでしょう?”嘯ヲはこれです。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して”E耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(ペテロ書?U3章9節)」

聖書の中には、神が私たち一人残らずを決まった時間に救うという意志が明らかにされている箇所がたくさんあります。神を探し求める人に神が残したこれらの言葉をよく理解して忘れないでください。

「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、”Vの父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。(ルカによる福音書11節9-13章)」

神はあなたのことを知っています。神はあなたのことをずっと前から知っているのです。神や神の使者を軽んじたり、からかったりしないでください。神があなたに望んでいることは、ありのままのあなた、つまりあなたが実際どんなに悪い人間であっても、また自分がいくら悪い人間だと思ったり、どんなに恥ずかしい自分だと思ったりしても、ありのままの姿で、正直に、真摯な態”xで神に向かうことです。神は、多くの人々が教えるように、「今のままのあなたでいればいい」と、受け”?れることはしません。一方で、あなたが自分自身を神に受け”?れられる、体裁のいい状態に変えることはできません。神はあなたが、心から神を探し求めるのに応じて、あなたを受け”?れることはしますが、受け”?れるという意味は、神がもともと意図した人間のあるべき姿に、あなたを変え始めるという意味です。

救いを受けた瞬間、実は、あなたの人生はやっと始まったばかりです。あなたはそれまで、自分が死んでいたことに気がつくでしょう。神が意図していたあなたがなるべき姿、そして、本来のあなた、になれる旅がはじまります。その姿とは、あなたが救われるまではなるのが不可”¥だった姿であり、それはまるで、ゴミ捨て場に捨てられた車のような“古い自分”、”゚惨で、ボロボロで、さびて、役立たずで、”ョかすのが不可”¥だった車が、生まれ変わって、新車”ッ様にピカピカで、賞賛されて、真に人の役に立つような車に修復されるようなものです。

賞賛されるといっても、この世によって評価されることを期待してはいけません。神は、世の中が神を嫌ったように、神とともにいるあなたを憎むことを約束、警告しています。これはあなたが支払わなければならない代価ですから、始める前に覚悟をしておいてください。次のように書かれている通りです。

「兄弟は兄弟を死に”nし、父は子を死に”nし、子どもたちは両親に立ち逆らって、”゙らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え”Eぶ者は救われます。”゙らがこの町であなたがたを”頼Qするなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。”゙らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。(マタイによる福音10章21-25章)」

とは言っても、神を信じることには、素晴らしい約束がされています。

「イエスは言われた。まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、”ィを捨てた者で、その百”{を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、”ィを”頼Qの中で受け、後の世では永?”のいのちを受けます。(マルコによる福音10章29-30節)」

「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦”?をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共”ッ相続人であります。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に”艪ラれば、取るに足りないものと私は考えます。”?造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、”?造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。 “?造物自体も、滅びの束”宸ゥら解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に”?れられます。(ローマ書8章17-21節)」

私たちの「テスティモニー(神を信じるようになるまでの証言集)」を”ヌんで下さい。そして疑問があれば、なんなりとメールをください。私たちは、神が、将来神の人となるために呼ばれた人たちを助けるためにここにいます。「聖なる水」を”ヌんで、ぜひ私たちに人生の”ケ案”烽?求めてください。あなたがどんな人間であっても、どんな種類の罪を”ニした者であっても、また、どんなに自分の体裁が大事でも、プライドを捨てて、助けを求めてください。プライドは神にとって障害となるだけです。聖書には、神はプライドを嫌い、謙虚な者には慈”゚を与えると書かれています。

神が人間を尊敬することはありません。だからこそ私たちは、神の慈”゚によって、だれをも尊敬の”Iとして”チ別視することはないのです。私たちはあなたが、黒人か”註lか、お金持ちか貧乏か、若いか”N寄りか、既婚か未婚か、殺人者か”瑞lか冒”タ者か、イスラム教”kか仏教”kか、カトリック教”kかプロテスタ?”トか、”ッ性愛者か麻薬”?”ヮメか、”эt婦か神学者か、聖書を教える教師か執事か、牧師か福音”`”ケ者(有名でも無名でも)か、司祭か修”ケ女か、はたまた枢機卿かローマ教皇かどうかさえも、関係ありません。私たちの言うことを信じてください。”゙らは皆、救いが必要なのです。”チに、強情な宗教家たちの方が、大酒飲みや、中”ナ者や、”эt婦以上に、”゙らがほかより優れていると思っている分、よりつらい時期が待っており、救いへの”ケのりが長いのです。イエス・キリストはこう言っています。

「ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って”ュいてくれ。』と言った。兄は”嘯ヲて『行きます。おとうさん。』と言ったが、行かなかった。それから、弟のところに来て、”ッじように言った。ところが、弟は”嘯ヲて『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」”゙らは言った。「あとの者です。」イエスは”゙らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国にはいっているのです。というのは、あなたがたは、ヨハネが義の”ケを持って来たのに、”゙を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは”゙を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、”゙を信じなかったのです。(マタイの福音書21章28-32節)」

警告:カウ?”セリ?”グや助言をもらうのにお金を請求したり、または何かを”р?うとする人のところには行かないこと。有名になって華々しい舞台に身を置く人や、自分の名前を宗教名にしているような人のところには行かないこと。もしあなたの助けになるために神が”゙らをあなたに送っているぐらいでしたら、”゙らがあなたにお金を請求したり、自分を”р闕桙?だりするようなことはしないはずです。これらの人々が広めているのは、真実ではなく、偽物の福音です。

「こういう者たちは、にせ使”kであり、人を欺く”ュき人であって、キリストの使”kに変装しているのです。しかし、驚くには及びません。サタ?”さえ光の御使いに変装するのです。ですから、サタ?”の手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。”゙らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。(コリ?”ト書11章13-15節)」

警告:神があなたを救えないことがあるなど、絶対に信じないで下さい。

「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての”_で兄弟たちと”ッじようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(ヘブル人への手紙2章17-18節)」

イエスは、神と共にある全てのことが可”¥であると言いました。

警告:悪霊や誘惑の悪魔には力がありすぎて、それに打ち勝つことはとても無理だということを信じないで下さい。打ち勝てないとしたら、それは、あなたが怖れや嘘に身を”Cせているからか、あなたが自分の大事なもの(自分の中の神)を失いたくないあまりに、言い訳を作っているからです。あなた自身が、あなたを素晴らしい神の祝福から阻んでいるのです。

「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の”ケも”?えてくださいます。ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼”qを”?けなさい。(コリ?”ト書?T10章13-14節)」

神は真剣に神を求める人を祝福します(神はいつもそうします)。神は全く有”¥で忠実であることを知ってください。

「イエスは”゙らをじっと見て言われた。『それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。(マタイの福音書19章26節)」

イエスについて、ヘブル人への手紙を書いた人たちは書いています。「しかし、キリストは永?”に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、”゙らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル人への手紙7章24-25節)」

警告:もしあなたがこの神の言葉を、神があなたに送った遣いの者である私たちから聞いているのなら、神のからだ(=神を信じる者たちのこと:「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。」コリ?”ト人への手紙?T/12章27節)の”烽ノいる”゙らとの交わりを捨てないで下さい。神が福音を説く聖職者として、また、あなたの魂の牧師として選んだ人々を通じて、あなた自身を神に従わさせてみてください。神を信じる人たちの中に、もはや孤立はなく、神を信じるすべての人は皆”ッじ目標に向かって呼び集められるのです。

「神のみことばをあなたがたに話した指”ア者たちのことを、思い出しなさい。”゙らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、”ッじです。(ヘブル人への手紙13章7-8節)」

「どうか、私たちのうちに”ュく力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメ?”。(エフェソ書3章20-21節)」

あなたが救われたとき、必ずしも“救われたんだ”と感じることはないかもしれませんが、救われたんだという事実がわかります。神の魂があなたの魂に対し、あなたの救いを目撃することが証です。

「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ人への手紙8章16節)」

あなたの人生はまったく別なものに変わるということを覚えていてください。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリ?”ト人への手紙?U5章17節)」

また、救われる過程には3つの段階があることを知ってください。それは、神の神聖な3つの祝祭、過ぎ越しの祭、五旬祭、仮庵祭によって表されている通りです。

この3段階の救いの実例としては、私のテスティモニー(ビクター・ハフィチャックの証言−どのように信じるようになったか)を”ヌんで下さい。また、私たちの証言集すべてを、神の慈”゚とイエス・キリストの”ュきへの信仰の証言としてお”ヌみください。エッセイの中では”チに、「真実とは、こういうことだ」、「聖なる水」、「悔い改めること」、「神に従うこと」、「The Baptism in the Holy Spirit(英語のみ)」、「The Three Degrees(英語のみ)」、「Counterfeit Christianity(英語のみ)」、「The Church(英語のみ)」を是”?お”ヌみ下さい。ここに書かれたすべての文章は、神を真剣に探す者たちへの”アきであり、教えであり、人生と魂への糧となるものです。それはひとえに、真実が”゙らに“これだ!”という刺激を与えるからです。

自分自身に謙虚になり、求め、信じ、悔い改め、人生の代価を払い、最後の”?まで”E耐してください。聖書を”ヌみ、私たちにアドバイスを求め、私たちの魂の集まりに加わってください。

「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。(ルカの福音書12章32節)」

Victor Hafichuk
ビクター・ハフィチャック

翻訳 Mariko Benson
Translated into Japanese by Mariko Benson

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