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日本語のページへようこそ

主(しゅ)イエス・キリストと、真実を探している人たちのために、いくつかのエッセイを日本語でも読めるよう翻訳してあります。神様に感謝しましょう。私たちは、神の導きに沿って、提供します。もし、あなた方日本の読者の皆さんが、特にこのエッセイが読みたいというリクエストがあれば、お知らせください。主(しゅ)の御心であれば、翻訳して読んでいただけるようにします。

※当サイトでは、日本語翻訳ボランティアの方を募集しています。当サイトの翻訳、日本語のチェックなどにご興味のある方は、是非ご連絡ください!

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Our Testimonies

私たちの証言―私たちの神を信じるまでの歩み


ビクター・ハフィチャックの証言:どのように神を信じるようになったか

神は、ひとつの人生を捕まえ、彼のものとしました。それによって、ほかの人々の人生も神のものとなり得るために。・・・

 

 

ポール・コーヘンの証言:どのように神を信じるようになったか

神はどこからともなく現れ、神を信じなかったあるユダヤ人に、神が本物であることを見せ、ビクターと会わせました。やがて彼が神を信じる心のうちに、神に召されて神の使命を果たし、ビクターとひとつとなるために。・・・

 

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Teachings

教え

心の苦味は破滅のもと: 苦い心はまるでガンのようで、心を最後まで食べつくします。苦い気持ちを心に隠し抱く人は誰も、その荒廃から逃れることはできません。平和や喜びや繁栄を盗む、嘘つきモンスターの正体は、理解とともにわかってきます。苦い気持ちとは、一体何で、どこから来るのでしょうか?

受け入れること: もし人を解放する真実があるとしたら、それは私たちが、良い悪い含めすべてのこと、すべての境遇を受け入れるときです。それらの境遇は、全知恵と力の創造主によってデザインされたものであり、私たちは自分の信仰の度合いによって、その勝利を味わいます。たとえ自分の境遇が何であっても、それを受け入れることは、イエス・キリストが主(しゅ)であることを終身告白し、認めることです。

十字架―死刑宣告だけが効力をもつ:天国への道はただひとつしかありません。死ねば天国へ行くという昔からの考え方は、身体の死に注目したもの。神からの真実では、もし私たちが今ここで真に生きたいのであれば、十字架を背負わなければならない、つまり、死ななければなりません。神、主イエス・キリストとともにあるためには、私たちは、世の中と私たち自身から死ぬことが必要です。そうでなければ、どうしたら私たちは、神が望むとおり、神のいるところで神とともにいることができるでしょうか。

「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。」(詩編 116編 15節 新共同訳)

真実とは、こういうことだ:このエッセイでは、人生における、魂のあるべき姿について、知らなければならないことすべてが書かれています。あなたは、神があなたに進んでいって欲しいと思っている正しい方向、つまり、神の中でのみ見つけることのできる‘いのち’に向かって、進んでいかなければなりません。宗教、哲学など、ちまたにあふれている方法ではうまくいきません。むしろそれらの道は、広々と手を広げてあなたを待っていますが、破壊につながる道です。あなたが本当に必要なのは、私たちがここで話す神の国であり、極めて狭き門を通ってのみ入ることができるのです。

悔い改めること: 悔い改めるとはどんなことでしょうか?私たちはみんな悔い改めることの意味をわかっているつもりですが、本当にそうでしょうか?悔い改めることは、私たちが自分の正しさから、神の正しさにたち帰ることです。それは、私たちが自分自身に価値がないことに気づくことです。私たちがこれに気づくのは、本当に神の慈悲によってのみです。いつの日か、あなたもそれを経験し、必ずそれに気づくときがきます。

どのように救われるか:このエッセイは、神によって救われたい人が何をしなければならないかを書いたものです。あなたが神を信じていなくても、宗教経験が何年もある人でも関係がありません。神が人を崇めることはありませんが、それと同時に、“わかないけど、救われたい。どうしたらよいのか教えてください”と心から神に言える人を見下すことはありません。その質問に答えるため、神があなたのために、私たちに与えたのが、このエッセイです。

神を信じる心とは?:神を信じる心は、ひとえに神からの贈り物です。それは、人が生み出すものでも、行うものでもありません。私たちの意志や信仰とも関係ありません。だれも神を信じる心を作り出したり、生み出したりすることはできません。

神に従うこと:神を求める人に、よいことで、与えられないことはありません。では、神を求める人とはどんな人のことでしょうか。神に対し、すべてのことで神の望むことをきく姿勢があり、従う気持ちがある人のことです。では、何に従うのか。従うことには3つのレベルがあり、それらは人生のすべての場面を網羅しています。従う意味が何であり、また、どのように従うべきなのかが、書かれています。

聖なる水:もしあなたが人に言えない病気をもっているとしたら、病気が治るのを待ってから病院に行こうとするでしょうか。神様へ向かうときも同じです。自分を正してから神に向かうのではなく、自分に助けが必要だからこそ、神に向かうのです。神様の聖なる水によって、身を清めることについて書かれたエッセイです。

>>そのほかのエッセイは「真実の教え(英語)」セクションへ

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Falsehood Exposed

間違いだらけのクリスチャン

クリスマス、それは悪魔の欺き:クリスマスの起源を知っていますか?クリスマスと、聖書や真のキリスト教とは、実は、全く関係がありません。特に、自らをクリスチャンと呼ぶ人々、または神の言葉を広める立場であるのに、クリスマスを祝う方々に読んで欲しいエッセイです。

>> そのほかのエッセイは「偽りを暴く(英語)」セクションへ

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Proverbs

箴言

2007年4月15-16日の真夜中、私に箴言を書くことが与えられました。まるで蛇口の水をひねったかのように、知恵ある言葉は次から次へと与えられ、全部で78になりました。そして、流れ始めが早かったように、流れ終わるときも早く、まるで蛇口を閉めたかのように終わりました。前もって考えることや、期待や予想もなく、終わりがきたときには、それを無理に続けるためにできることは何もありませんでした。言葉はただ、そこにありました。(続きを読む

>> 箴言(しんげん)を英語で読むには「箴言(英語)」セクション

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Music

音楽

「真実の道(The Path of Truth)」の歌を聴くにはここをクリック
「真実の道(The Path of Truth)」の歌詞と日本語訳はここをクリック

>> そのほかの歌を聴くには「音楽(英語)」セクション

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Letters

手紙からの教訓

日本の新フッタライト教への手紙:フッタライト教団はヨーロッパ発祥のキリスト教の一派。1500年代頃から、ヨーロッパでこの宗教団体への差別があり、大多数がロシアに移民しました。その後、ロシアでも差別が起き、1800年代の終わりに渡米しましたが、第一次世界大戦中の徴兵を拒否したため、アメリカでも差別を受けることになり、1918年からカナダに渡り始めました。

私たちが住むカナダのアルバータ州はフッタライト教団の主な居留地のひとつ。彼らは肉体の欲を抑制するために黒い服を身にまとい、集団生活をしています。驚くべきことに、日本にもフッタライト派として共同生活をしている人々がおり、私たちはカナダでそのリーダーらと出会うきっかけを得ました。私たちは彼らと、神様と真実についての話し合いをもち、彼らがカナダに住むフッタライト教徒たちのように、宗教の形だけに固執するのではなく、真の真実を探す心をもっている気がしました。この手紙は、その後2008年に私たちが日本を訪れた際、西那須の集団農場まで彼らに会いに行った経験から書かれたものです。

この手紙のメッセージは、「宗教」というものの矛盾さを訴える点で、これはどんな宗教団体にもあてはまる内容です。誰もが答えを探すとき、自分からは遠い、外の世界に答えを見出そうとしますが、実はそれはいつも自分の近くにあり、ただ皆そのことに気がつきたくないだけなのです。神様の前で、自分の矛盾と罪に向かい合い、受け入れ入ることが答えの発見への始まりです。

平和に関心のある日本の皆様へ:日本はいわゆる“平和国家”であるため、イスラエルによるガザでの空爆への倫理性を問う人が多いです。しかし、考えてみてください。もしあなたが、わき腹を棒で殴られ、蹴られ、脳みそが飛び出すまで攻撃され、銃で撃たれる状況に置かれたら?そしてあなたの身近な人にも同じことが起こり、あなたの家族や愛する人が次々に殺されていったら?あなたの国に誰かが襲ってきて、すべての人々を打ちのめし始めたら?そして相手はあなたの仲間が皆殺しになるまで、それをやめません。敵は、たとえ自分が死んでも構わず、相手が死ぬまでその行為をやめない決心をもっています。もし、あなたが戦うことでそれが止められるかもしれなかったら、あなたは戦いますか?相手を殺しますか?それは私たち日本人がいう“殺人”、“犯罪”、そして私たちの一番嫌いな、“戦争”ではないですか?

日本人は、「悪いのは“戦争だ”」と悪者を一般化することで逃げ道をつくり、うわべの平和を好みます。もちろん戦争は決して好ましいものではありません。しかし、イスラエルでの状況は、イスラエルが好んで攻撃しているのではなく、ガザがイスラエルに挑んでいる状態です。戦わなければならない状況の中、せめてできることは、できる限り“倫理的な姿勢”で戦うことではないでしょうか。たったひとつの事実は、ユダヤ人が武器を捨て何もしなかったら、ユダヤは全滅するということ。また、パレスチナと周りのアラブの国たちが、武器をすべて捨てたら、・・・平和になるということ。イスラエルは、自分の領土を拡大することに興味はありません。事実、イスラエルは、平和になることを願いつつ、自らの領土を少しずつ減らし、彼らに与えてきたのです。(続きを読む

 

翻訳 Mariko Benson
Translated into Japanese by Mariko Benson

 


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Authors: Victor Hafichuk & Paul Cohen

 

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